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2018-08-01

生活で「自分の感覚」を育てる

「自分の感覚がわからないんです」
この悩みはしばしば聞きます。
ゆえに、自分の感覚をテーマにした記事も書いてきました。

自分の感覚を知るには、違和感を大切に

男性性と女性性についてもそうです。

内なる男性性と女性性を知ろう


こちらの記事でサガプリヤのあなたの内の男と女 -愛と自由を手に入れる魔法-にある自分の中の男性性と女性性に出会う簡単な方法をご紹介したのですけれども、それでも聞かれた言葉はこれ。

「私の男性性と女性性はこんな感じ、だと思うんですけど、でも結局それは私の思いこみに過ぎないんじゃないかって思って…これって本当なんですか?」

こんなにも自分の感覚が信じられないのです。オーマイガ!

また別の人は、こういいました。
「私の男性性は交渉術にたけている体育会系の男らしいタイプで、女性性は家事の好きな女っぽいタイプです」
「えっ、あなた、割とコミュニケーション苦手なんじゃないの?」
「そうですね」
「パートナーは社交上手とか?」
「いや私と同じ陰キャオタクですね」
「えっと、あなたは家事が好きなの?」
「いや、嫌いです。面倒くさいですね~」
「つか、そのパーソナリティ、わたしの男性性と女性性のコピーやん。全然あなたらしくないじゃん」
「あっ」
「とりあえず、自分の内側に意識を向けようよ…嘘ついちゃダメだよ…」

こうなると自分の感覚以前の問題です。
「正解」をトレースすることで「正しいことを述べることこそが重要だ」と教え込む学校教育の弊害ですね。


大体あんたね、刀剣乱舞で長曽祢推しじゃないでしょーっ!筋肉興味ないでしょーっ!鶴丸とか長谷部とかシュッとした男が好きなんでしょーっ!
全然タイプ違うじゃん!!※内なる男性性と好きなタイプの男性はおおむね対応します。

わたしの男性性と女性性はわたしのパーソナリティであって、あなたのパターンとは違うんだよー!あなたは地球でたった一人しかいないあなたなんだから、私(や他の誰か)の真似なんかしてたって幸せになれないんだよー!!

サガプリヤの本を読んでみなよ!ものすごい色んなパターンの男性性と女性性がいるから。人それぞれなんだよ!

そして、思ったんです。
「なんでここまで自分と切り離されちゃってるのん…?」と。
いくら教師が「正解を言うザマス!」と教育したって、親が毒で変なことばっか言ったって、自分の感覚がしっかりしていたら「え、なんかおかしくね?」って違和感を感じられるはずなんですよ。「みんなはそういうけど、違うだろ~っ」って自分の感覚を優先できるはずなんですよ。

なのに、すっかり切り離されちゃってる。
自分と。もっと言うなら自然と。
スピにいうなら地球とか宇宙とかワンネスとかと。

例えば、indeepのオカさんはこう言っています。

思考や思想は自分で考える、などということは当たり前だと思われるかもしれないですが、実際には、多くの人たちが「時代の空気の中」で思考を決めています。

幼い頃から、もともと、ややアウトロー気味だった私ですが、この『私の中の日本軍』を読んだ時を機にして、さらに思考の「孤立化」が進み、その後、社会の空気や周囲の空気にむやみに同調しないで生きてきました。

まあ、それは「なかなか生きづらい」ものでもあることは事実ですけれど。

自分がそう思うならそう思う。そう思わないならそう思わない。

だから、今でも「世の中では当然とされている概念や価値観」でも、自分自身では、まったくそう思わないことが山ほどあります。

自分がそう思うならそう思う。そう思わないならそう思わない。
これ。これですよ。実に健全な感覚ですよね。
特にスピリチュアルな事柄というのは「自分はそう思った」で完結していいわけで、それを「私はこう思ってるんですけど正しいですか?」と誰かにお墨付きをもらおうとすること自体がかなり不健全で気持ち悪い状況なはずなんですよ!「てめぇが思うならそうなんだろうなてめぇの中ではな」でいいでしょうが!!(ビジネスだとそうはいかんが)

もしそれが正しいかどうかをどうしても知りたいってなら、「実践」してみればいいわけですよ。
「○○神社に行け」ってお告げが来たってなら、行けばいいんですよ。そんでどうしてそう感じたのかを自分で見つけ出せばいいわけですよ。
やりゃいいじゃん。現実に見つけ出せばいいじゃん。現実で答えあわせすればいいじゃん。

そんな行動すらも起こさず、誰か自分よりも能力がある(と思われている)人に「正解」を求める。
そんな人生、何の意味があるんじゃーっ!!!!!!!

とブチ切れておったところ、唐突に岸田秀さんの「飯炊き」の文章が目に入ってきました。

初めチョロチョロ、中パッパと言われているように、釜を竈(かまど)にかけて、まず松葉の焚き付けに火をつけ、細い薪に火を移し、火吹き竹で火の勢いを強めながらだんだんと太い薪を加えていく。そのうち釜と蓋とのあいだから蒸気が吹き出す。あまりたびたび取りすぎるのはよくないので、炊きあがってゆく米の微妙な音を聞き分けながら適当な時を見計らって釜の蓋を取り、研いだ米の上の水がなくなっていて、炊いている米の表面のあちこちに小さな窪みができていて小さな泡ができたり消えたりしていたら、火を引いてしばらく蒸す。うまくやらないと。こげめしや、ほちめしができる。

なんというみずみずしさだろう。
わたしは心を打たれました。竈を使うなら、米を炊くだけでもこれだけ「自分の感覚」を総動員しなければならないのです。上の引用は一部であって、本文には焚き付けの松葉を熊手で集めて薪を割るところから、竈や薪の掃除や手入れといった後片付けまで書いてあります。

ひとつひとつ、自分の五感を総動員せねばならないのです。
そのときに「これでいいですか?これでどうですか?」なんてお母ちゃんに聞いていたら「アンタそんなことも一人でできないのかいっ!」と怒られちゃいます。キッチンタイマーもないので、どれだけ火が通っているのかは蒸気や釜から出る音で判断するしかありません。

毎日米を炊くだけで、自分の感覚を鍛えられるのです。ちゃんとふっくらと炊きあがった米を見て、「自分の感覚の正しさ」を確認できるのです。

このことがいたく心に響いたのは、長い間わたしは炊飯器で米を炊いていたからです。
そう、スイッチポンでできあがり。自分の感覚など全くいらない。目を離していても、勝手に米は炊きあがる。

しかし、ここ5年ほどは鍋でたくようになりました。なぜなら、そっちのほうが時間がかからないからです。
【参考】鍋炊きご飯の炊き方/レシピ:白ごはん.com
はじめは、計量カップで水を計ってタイマーで時間を計って炊いていました。やっぱり自分の感覚は使っていませんでした。
だけど、ある時面倒くさくなって「昔は竈でたいてたんだから、火の調整が簡単にできるガスでなんてもっと簡単に炊けるんじゃね?」と思って、適当にやるようになりました。

そうすると、結構できるのです。型にはまってキッチリやっていた経験がベースにあったから、そこからアレンジするだけでよかったし。
「こんくらいの感じだから、火はこれくらいにしよ」とか「うーん、もうちょっと火を入れたほうがいいかな」とか「出ている音がこんな感じだから、もうかなりいいな」とか「ちょっとおこげ多めに入れたいから、こうすっか」とか。
鍋から出てくる「チリチリッチリチリッ」という音で、米がほぼ炊け上がっているなあ(蒸らしのタイミングだな)と判断できるようになりました。自分の感覚にしたがって、米が炊けるようになったのです。

このように、「自分の感覚を使えば上手くいくんだ」と学ぶ機会が、現代人にはものすごく少ないのではないでしょうか。
今の電化製品がなんでもやってくれる便利な生活が、実は自分の感覚と切り離されてしまう原因の一つなのではないでしょうか。

「自分の感覚」に自信を持ちたい、つながりを強くしたい方は、日々の生活の中で何か一つだけ、「自分の感覚を使ってやること」を作ってみてください。上で紹介した飯炊きでもいいし、何を食べるかを頭で考えるのではなく感覚に従ってもいい。それが正しかったかどうかの確認は、食べた後に尿や便の状態を観察するのです。尿や便は身体のコンディションを的確に示します。尿の色や便のにおいで、その時食べたものが「正解」かどうかわかるのです。本当に自分に合ったものを食べたときは、本当にいい匂いの便が出ます。くさくないです。

専門家の言うことよりも、自分の感覚を優先するのです。
もちろん、結果は自己責任です。試すならば、リスクの少ないところから行きましょう。

なんでもかんでも機械に任せないでください。スマホで済ませないでください。
自分の感覚をちゃんと使ってください。面倒くさがっていたら、自信なんか持てないしつながれなくて当たり前です。

↑Kindle版(電子書籍)が出たようです。

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