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2018-07-30

わたしがもう旅を必要としない理由

よくわからないのですが、わたしと一緒に旅をしたがる人は多いです。
ある女性は「台湾行きたいな~沖縄も行きたい」とわたしに話をふってきて、それに「そうなんだ、行っておいで。沖縄はいいよ」と返すとムッとふくれて押し黙ってしまいました。

また別の女性は、旅の話題になったときに「旅か~久しく行ってないなぁ」というと「じゃあ行っちゃう?旅に出ちゃう?」といわれたので「ううん、わたしにはもう旅はいらないわ」と返すと泣き出してしまいました。
お酒が入っていたせいもあるのかもしれませんが(泣き上戸?)、旅に行かないといっただけでさめざめと泣かれて、わたしは非常にばつの悪い思いをしたものです。
(女でさえこれだけ居心地悪い思いをするのだから、衆目のあるところで女を泣かせた男はもっと大変なんだろうなぁ~)

「自分探し」の終焉

実は、わたしは結構旅の経験があります。若い頃は休みとなったら旅に出ていました。
旅に行かずにはいられなかったのです。ストレスの多い勤め人である自分を慰めるために「休み!休みになったら○○に行く!だからそれまでがんばるっ!!!」と旅というニンジンを鼻先にぶら下げて、無理やり働いていたのです。

旅の開放感は、勤め人時代のわたしにはなくてはならない清涼剤でした。
知らない街に行って、自分のことを知らない人に囲まれる。それだけでもう心がパーッと解放されて、楽になれたものです。言い換えると、それくらい「社会に組み込まれて生きる」日常というものは息苦しいものでした。(それでも周りから見たら超フリーダム人間に見えていただろうけどね……)

旅が必要でした。切実に。
「いつもと違う世界」が必要だったのです。

だけど、この仕事をはじめて少し経った2007年。
わたしはふつっと旅をやめてしまいました。

そのきっかけは、横浜のみなとみらいで
「ああ、なんだ。わたしって、どこにいてもわたしだなあ」
と唐突に気づいたことです。ストンと何かが腑に落ちて、グラウンディングされたのです。

「どこにいてもわたしなんだから、別に大丈夫だ」と突然思ったのです。みなとみらいで。笑

でも、これじゃあちょっと感性的過ぎて伝わらないですよね。もう少し具体的に噛み砕きますね。言葉をグラウンディングします。

「ほんとうのわたし」になりたい!!

そもそも、わたしにとって旅に必要な要素は「違う空気」でした。
必要なものは、いつもと違う空気だったんです。街によって、空気って違うでしょう。あれがたまらなくワクワクして好きだったんです。

だから観光には全く興味無し。
外国だろうと国内だろうと、私が旅先でやりたいことは
「川べりを歩くこと」と「市場をのぞくこと」でした。

例えば、ローマの一番いい思い出というのは「テヴェレ川の川岸を散歩したこと」です。ちゃんとコロッセオもトレヴィの泉も真実の口にも行ったのに、そんなん割とどうでもいいわとしか思わなかったんです。コロッセオにいた猫がかわいかったくらいの記憶しかない。テヴェレ川の川岸を雑草がぼうぼう生い茂っている中をキシキシふみしめながらハミングしつつ歩いたのが、一番心躍る出来事だったんです。

ああ、あれは実に楽しかったなあ!!
ああ~テヴェレ川~♪ 麗しの尖角状三角州ゥ~♪

ここまで読んだ方は
「じゃあ豊平川(もしくは荒川・隅田川・淀川・鴨川などなど)でいいじゃねぇか」
と思われたことでしょう。

うん、そうなんです。
わたしは天気のよい日に川のそばを歩いていれば、基本的に楽しくてご機嫌なのです。旅に行く必要が無い。

市場だって二条市場に行けばいいしね。ただ市場は、その土地じゃないととれないものが意外と売ってるから、やっぱり楽しいけどね。例えば、物流が発達した今でも生の無花果とか、北海道じゃめったに売ってないんですよ。たまに高級スーパーにあるくらい。

だから関東のスーパーなんか行くと、ふつうに無花果が売っていて感動するのです。「おおっ!生の無花果があるぞ!」と。

だけど、やっぱりサラリーマンをやっていたころは「違う空気」にふれたくてふれたくて、仕方が無かった。それくらい、「わたしのいる世界」は辛くて苦しかった。観光なんてしなくっていいから「違う空気」にふれたかった。
だから、当時のわたしに旅は必要だったのです。

お勤めをやめて、この仕事をはじめて、ふうっと「あ、もう旅はいらない。どこにいてもわたしはわたしだし、もう大丈夫」と思ったのです。唐突に。みなとみらいで。笑
だから、もう旅はいらないのです。

わたしが旅を必要としたのは、社会に組み込まれるストレスを発散するためだったのです。解放された時間が必要だったのです。自分になれる時間が必要だったのです。そのために「旅を消費」せねばならなかったのです。

今のわたしは日常からして抑圧とは無縁のほえほえした空間で快適に生きているので、旅がいらないのです。「別にどこにいようがわたしはわたしだしな」と。

したがって、わたしと旅に出たがる方には申し訳ないのですが、旅行に誘われてもお断りします。わたしには必要が無いからです。あなたと一緒にいたくないということではなく、旅が必要ないだけなのです。

あと、わしと川を歩いてもなんも楽しくないじょ。
スピ的パワースポット的なサムシングを期待しとるのかもしらんが
「ほら!あそこ!あのあたりわかる!?あれが河岸段丘面!!」
とかしか言わんぞ。更新世トークとかいらんじゃろ……。

不必要な消費はしたくないのです。
資本主義社会に組み込まれて息苦しくなるし、地球も汚してしまうから。

働くために働くのではなく、お金を儲けるために働き、儲けたお金を使って人生を楽しむ人たちばかりでは資本主義社会が成り立たないのは明らかである。それでは生産と消費が国内で釣り合い、他国民を侵略したり搾取したりする必要が生じず、大資本が蓄積されて資本主義が大いに発展する可能性がない。
(中略)
人間としては、お金があるあいだは遊び、お金がなくなるまでは働こうとしないこの種の人たちのほうが自然でかつ健全であるといえよう。ウェーバーは言っていないと思うが、資本主義の精神とは、生きるために必要でないのに働いていないと気が済まないという一種の病気なのである。

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