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2018-07-10

「霊能者=人格者」ではありません

わたしはある日「本物の霊能者を見抜くにはどうしたらいいんですかっ?」と聞かれました。
たいへん戸惑いました。
「本物の霊能者」という定義がわからなかったからです。だからこう答えました。

「本物かどうかより、自分と波長が合うかどうかが大事なんじゃないかしら」
「どういう意味ですか?」
「その人のいうことが、自分の人生に役に立つなら信じればいいし、違うなと思えば信じなければいい。万人にとって『本物』である霊能者っていうのはいないと思うのよ」
「でも!予言が当たる人は本物でしょう!」
「???あなた、自分なりに『本物』の定義があるんじゃない」
「え?」
「あなたにとって本物の霊能者というのは『予言を当てる人』なんでしょう。なら、別に私に本物の霊能者の見抜き方など聞かなくっても、もう既に自分の中にちゃんと基準があるじゃないの」
「いやっ、でもNozomiさんから見て『あの人は本物だ!あの人はニセモノだ!』ってジャッジが聞きたいじゃないですか!」
「………そんなの聞いてどうすんの?」
「Nozomiさんが本物だって言った人は信じます!」
「…………」

見事に支離滅裂です。
じゃあここで予言を外している人を「本物だ!」って言ったら、どうするんでしょうか。
そう思ったけれども、あまりにもバカらしくて話を続ける気にもならなかったので、その話題はやめました。

そもそも、わたしが「本物の霊能者」という定義に戸惑ったのは、彼女に「霊能力がある人はスゴイ人格者で、その人の言うことを聞いていればいい」という思い込みがあるように受けとれたからです。

これは大きな勘違いです。
ハッキリと明言しておかねばなりません。
霊能力の発達と人格の発達は並列しているとは限りません。

もちろん、理想を言うなら、霊能力と人格の発達は足並みそろえて起こるべきです。伝統的な宗教でも、そうなるように修行がデザインされていたりします。中途半端に起こる神秘体験で勘違いしないように「魔境」「禅病」として戒めたりもします。武道でも、力を持てば持つほどそれを制御できるような精神力を鍛えるように指導されます。

だけど、テクノロジーと人間性の発達が必ずしも同調しないように、霊能力はすごいけど人格はクソ未発達という人間も残念ながら、世の中にはいます。

とある20代の男性はたぐいまれなサイキック能力の持ち主です。
でも、社会性が発達しておりません。いわゆるコミュ障です。
私がスピリチュアルな仕事をしているとわかったとたん、心を開いてくれたのは良いのですが、彼は怒涛のように「お告げ」を私に押し付け出したのです。

●月×日 件名:貴女に愛の奉仕を

天使のみ名のもとにこの情報をシェアできることに感謝します
いつでも私たちは愛に見守られて生きています 全ては感謝です

それではお待たせしました 本日の大天使のお告げをNozomiさんにお伝えしましょう!
さあ高次からの愛のメッセージを受け取ってください!
全てラッキーなシンクロです 絶対にツイてます!

ガブリエル「あなたの道は正しい いきなさい」
ウリエル「南西の方角にあなたの光があります 導きに従い探しなさい」
カマエル「あなたの身近なところに愛があります 見落とさないように」
サンダルフォン「3日後の17時にあなたの元を訪れます 準備しておくように」
アルミサエル「

ああ、もう、なんか読むのもめんどくさいと思うんで略しますけど、こんな感じでズラーっと天使の名前が20人くらい並んでいて「お告げ」が書かれているんです。

確かに書いてある言葉自体はポジティブで「愛の」メッセージではあるんでしょう。
ですが、こんなメールを一方的に送りつけられるのって、相手がどんな気持ちになるか考えもしないのでしょうか。「お告げのメッセージをちょうだい!」とリクエストしていたならまだわかりますが、私は彼に一言もそんなことは言っていないのですよ。

「そういうとこだぞ、お前」と言いたくなります。

いくら霊能力があって愛のあるメッセージをチャネルできても、社会性の無いコミュ障だとただただキモイだけなんです。せっかくの愛のメッセージが迷惑メールになってしまうのです。
相手を思いやる、すなわち人間仕様の三次元式コミュニケーション能力は、霊能力開発よか数段大事だと思います……。

以前、メルマガ読者限定記事の「神にお仕えするということ」にこう書きました。

神官でも神職でも、スピリチュアリストもそうだけど、こういった「人智を超えた神的なもの」と関わる人間にとって、重要なのが「エゴのそぎ落とし」です。
なぜなら権威がつくので、人から簡単に慕われて好かれて敬われるからです。チヤホヤされるんです。

それで我欲なんか満たしてた日には、もう最悪。
カトリックでも司祭による児童の性的虐待が問題になったりしてますよね。権威があるから簡単に人を支配できる。そこに酔ったが最後、人間としての転落が待ち受けている。

オウムの麻原彰晃もわかりやすいけど、もっと身につまされるのが福島悪魔払い殺人事件。当時47歳の祈祷師・江藤幸子が「汚れた肉体を殺し、魂を浄化するため」信者を殺しちゃうんですよねー……。

麻原も江藤も、それなりに能力あったんだと思いますよ。少なくともカリスマはあったでしょう。そういう神がかり的な力を使う人間が、エゴを暴走させてしまうと本当に恐ろしいことになるんです。

エゴは定期的に浄化しなきゃならない。
一回やればいいってもんじゃない。ずうーっと。一生やらなきゃならない。

バランスの取れた発達というのは、本当に大切なことです。サイキックな能力だけ発達している人は、むしろ危険です。
これは目に見えない存在に対しても言えることで、素晴らしい能力やテクノロジーがあったとしても、愛の無い存在だっています。サイキックだからって「スゴイ!」って心酔しちゃアカンのです。もっと、冷静に見極めないと。


そして、「本物の霊能者」を求めたい人は、一度自分の心に聞いてもらいたいのです。
「本物を見つけ出して、あなたはどうしたいの?」と。本物の霊能者を見つけ出すことで、心酔し、救いを求め、依存したいんじゃないの?と。

もしそういう気持ちがあるなら、あなたが霊能者探しをするのは危険です。依存心から求めているからです。
この世で一番素晴らしい黄金は、自らの内にあります。霊能者に頼ろうとするのではなく自分で見つけ出してください。ブッダの「自らのともしびになりなさい」の言葉の通りです。

実は、予言をビシバシ的中させるようなスゴイ霊能者より、そこらへんの愛あるバアチャンのほうが、何倍も価値があるのですよ。
(つか、そもそも霊能力なんて別に誰でもあるしね……開花してるかしてないかの差があるだけで)

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