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2018-06-13

あなたが評価されないのは、単純に人が多いからである

多くの人が「ふつうに子供を作ってふつうに生きる」みたいなフワッとしたことを考えていて、私はずいぶんと驚いてきました。
「どうして?どうしてこれ以上人間を増やすの?ここまでアンバランスになった世界の秩序を、さらに崩すというの?」と。

まあ、地球の環境がどうだエコだ食糧問題がどうだといっても、正直そういう問題は一部の人にしか届きません。

だけど
「価値があるからこそ生まれてきたはずの尊いあなたが、どうしてこんなに大切にされないのか、ありのままの自分が社会から必要とされないのか、『使い捨てで代わりのいる人間』として扱われるのか、おかしいと思わない?」
こういうききかただと、「確かに」と思ってくれる人が増えるのではないでしょうか。

なぜあなたは大切に扱われないのでしょうか?
それは、代わりがいるからです。あなたじゃなくても良いからです。

なぜあなたの努力や能力が正当に評価されないのでしょうか?
それは、今の世の中は高度化しすぎて、必要な能力が超ハイスペックなものになっているからです。


あなたが学校に通っていた頃「クラスで一番」だったことは何ですか。
そこそこ誰にもあると思うのです。運動や勉強といったわかりやすいものだけではなく、絵を描くのがうまかったとか、自由研究で一番だったとか、工作ならすごかったとか、バスケはダメだったけどスケートなら選手に選ばれたとか、大人にいたずらを仕掛けるときはいつも自分のアイデアが役に立ったとか。

この「クラスで一番」というのは、けっこう能力値として高いものです。すごいものです。
だけど、今の社会において「クラスで一番」は、ほとんどの場合「そんなこと自慢にもなんねーよ」程度の能力にしかなりません。

例えば、クラスで一番かわいい女の子がいたとしましょう。クラス内ではモテモテでみんなが「カワイイよね!」と言います。でも、社会に出てその子が芸能人やモデルになれるかと言ったら、まずなれない。もしなったら、ネットで「ブスでデブのこんな女がなんで出てきてんの?ソフマップ?AVに出てきたってこんな整形顔じゃ抜けねえよチェンジ」なんて叩かれます。クラスでは一番かわいいのに。

クラスで一番サッカーが上手くてもそうです。クラスのなかではすごい実力だし、試合のたびに頼りにされるエースストライカーでも、プロ選手になれるかと言ったらまず厳しいです。夢がかなってプロになれたとしてすら、多くの選手は3年以内に引退します。日本代表、ワールドカップだなんて夢の夢です。クラスでは一番上手かったのに。

小さなコミュニティでは、この「クラスで一番」程度のスキルはものすごいものとして重宝されます。本当に能力のある人として評価されます。
村一番の桶作りの名人とか、歌の名手とか、天気読みの達人とか、そういう人たちは今の社会では多分「クズ」扱いです。だけど、昔のムラ社会では「頼れる人」でした。

今の社会ではものすごい高スペックじゃないと評価されません。
単純作業を延々とやるような労働集約型産業は斜陽も斜陽。「クラスで一番」くらいじゃ役に立たない。上には上がいる、果てしなく。

なんでそんなに高スペックを要求されるのか。
それは、要求できるからです。首をすげかえられるからです。
なんでそんな風になっているかというと、高スペックの人の数が多いからです。

なんで多いかって、そもそも人類は76億人(2017年6月21日国連発表)もいるからです。10000倍で選別したって、76万人もいるんです。選びたい放題でしょうが。
100人の村ではこうはいきません。「ハイお前はダメー、お前もダメー、こいつもダメー」なんていってたら、たちまち人材が枯渇します。

でも、多いと代えはいくらでもきくのです。

例えば、世間的には「東京芸大卒」なんていうと「おおっ、スゴイ!」だなんて思うのかもしれません。が、芸術で食っていけるのなんて一握りで大量の「潰しのきかない人間製造機」になっているのが実態です。美術学部でも音楽学部でも毎年250人くらいの人材が輩出されます。4年で1000人、10年で2500人です。そんなに社会に芸術家が必要でしょうか。一般層にまで話題になるようなアーティストがデビューし活躍するでしょうか。

今年卒業した芸大生で注目しているアーティストが誰かいます?私は一人もいないですね。
一応お断りしておきますが、芸大生って頭もいいし才能はあるし、すごいです。そういう人たちすら、価値が認められない場合が多々あるという話です。

このように、人が多いと自動的に個人の価値は下がります。

昔の村の長老は、生き字引として非常に尊敬され、大切にされました。
だけど、今の高齢者は「社会のお荷物」扱いです。昔の長老がそんなにハイスペックで優秀だったかというと、そうとは限りません。今のお年寄りのほうがよっぽど優れている場合だってあるでしょう。

じゃあ何が違うのかというと、人数です。
昔は長生きできる人間なんてほんの一握りで、長生きしてるだけで「スゲー人!」だったわけです。まさに息をしているだけで尊い、生きているだけで価値があった。
だけど、今の日本には3461万人(平成28年)もの高齢者がいます。4人に1人は高齢者なわけですから、希少性もクソもあったもんではありません。ごくフツーの珍しくもなんともない存在に、価値を認めるのはなかなか難しいものです。

グローバル社会では競争の激しさも特徴の一つとして挙げられます。
なんでそんなに競争が激しくなるかというと、相手がたくさんいるからです。
「クラスで一番」になるのは努力次第でわりとどうにかなったりしますが「地球で一番」になるのは努力だけじゃどうしようもないくらい激しい競争を勝ち抜かねばなりません。この「地球で一番」を要求してくるのがグローバル社会です。

人数が多いと、少しのズレが致命傷になったりします。
コミュニケーション能力の要求基準もグングン上がります。
昭和の時代には全く問題にならなかった発言や行動が、今では社会的な死につながったりします。

二重敬語などのおかしな日本語が頻繁に使われるのも、こういったピリピリした空気に敏感になっているからではないでしょうか。
【参考】その敬語、二重敬語になってない?「お」「ご」の正しい使い方|「マイナビウーマン」

接客業の人が変な言葉や分かりにくい言い回しを使うのも、よくききます。「こちらのお色でよろしかったでしょうか?」とか「こちらお箸のほうお付けしますか?」とか「1000円からのお預かりになります」とか。
【参考】間違いも多い「の方」の意味と敬語表現・使い方と例文-ビジメスマナーを学ぶならMayonez
【参考】知らないと恥ずかしい! 正しい&間違い接客用語│#タウンワークマガジン

デパートでコスメを見ていたらBAさんから「お客様、大丈夫でしょうか?」と声をかけられて「えっ?大丈夫って、そんなに具合が悪そうですか?」と面食らったことがあります。「大丈夫」とは「カウンターで実際に試されますか?」の意味だったようです。

とかくフワッとした回りくどい言葉を使うのです。


HINOMARU騒動について「RADWIMPS」のボーカル・野田洋次郎氏はこう謝罪しています。「結果的にその曲で不快な想いをさせてしまった人がいたというのが何より悲しいです」
【参考】物議を醸したRADWIMPSの新曲「HINOMARU」について野田洋次郎がコメント 「軍歌という意図はない」 – ねとらぼ

全文読んでいただければわかると思うんですけど、本当に「フワッ」としてるんですよね。音楽やる人間って「うるせー俺が言いたいこと言うんだよコノヤローついて来れないんだったらくんな!」ってロックな人間を多く見てきたので「今の若い子って、音楽やっててもこんなにソフトなのか」とオバサンはビックリしましたよ。世界平和を祈るジョン・レノンも反原発を思う忌野清志郎や政治を批判する長渕剛だって自己主張はハッキリしてましたからね。こんなにフワッとはしてなかった。

フワッとすることで、衝突を回避している。
これはアーティストだけではなく若者言葉にも見られます。
以下は「若者ことばの『やばみ』や『うれしみ』の『み』」についての解説です。

なぜ「うれしい」「食べたい」などを,わざわざ名詞化するのか

まず,(中略)名詞化が持つ婉曲性から説明することができます。
欲求や共感といった感情は,そのまま表に出すと生々しさや主張の強さを感じます。「うれしい」のような感情を名詞化し,「うれしみ{がある/が深い/を感じる}」のように分析的に表現することによって,自分から距離を置いた形で,婉曲的に表現する効果が生まれます。大人でも,「この日程は厳しいものがあります」のように,名詞「もの」や「ところ」を使った婉曲表現を使うことがありますが,若者はそれを接尾辞「―み」で行っていると言えます。

名詞化するなら,なぜ「―さ」ではなく「―み」を使うのか

次に,【疑問3】は,若者ことばで重視される面白さや新鮮さが動機として考えられます。
従来使われてきた「―さ」ではなく逸脱的な表現「―み」を使うことで,冗談めかした「ネタ」として自分の感情や欲求を見せることができる,ということです。(これには,自分の思いを皆の前で「つぶやく」媒体であるというTwitterの特性が影響しているかもしれません。)

今の世の中はとかく余裕がない。ギスギスしているし変化が速いし、心や拳で熱くぶつかり合うなんて余剰エネルギーもない。そうしたときに必要なのは衝撃を吸収してくれるバッファとなるもの。言葉をフワッとさせることで、若者はこのバッファを作りだしているのかもしれません。エモみが深い。

満員電車を見ればわかるように、人が多い状況はストレスを生みだします。
二次元でも人気ジャンルやキャラやカプのコミュニティは荒れます。
日本だけじゃなくて海外ファンダムでもそうです……。悲しい。

人が多くなれば多くなるほど、妥協せねばならないポイントは増えてきます。「ありのまま」でなんていられません。だからスピリチュアルな癒しを求める人に「他者に求めず自分でやりなさい」というのです。一人ならば自由でいても、ありのままの自分を解き放っても、誰も傷つけないから。

今の社会の目まぐるしさに疲れてしまった人は、できうるかぎり「人断ち」をする時間を持ちましょう。もちろんSNSなんて厳禁です。アカウントに接続するだけで何万という人とつながってしまうのだから。

人とのつながりはあったほうが良いかもしれません。が、多くありすぎたら確実に消耗します。100万人の中であなたがかけがえのない人になるのは難しいかもしれませんが、10人の中でなくてはならないメンバーになるのは現実的に可能です。

ちまっと生きましょう。
そっちのほうが合ってる人だって、いるんです。

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