toggle
2018-06-09

児童虐待はこの世界の縮図である

東京目黒区で、5歳の女の子が虐待され亡くなりました。
私は、「まるで『鬼畜の家』に書かれているケースのようだ」と思いました。

「鬼畜」の家:わが子を殺す親たち

鬼畜の家の中で親たちは、子への愛をさかんにアピールします。
「子供のこと世界で一番愛してます😀😀」
「ずうっと家族一緒でいるのが幸せ😉」
「生まれてきてくれてありがとう✨✨✨」

本当に、たぶん、そう思っています。本気で。
そして、SNSにそう書きこんだのと同じ人が、子どもを虐待します。

ホストに狂い2児を餓死させた下村(中村)早苗受刑者は、SNS(Mixi)にこのような日記を書いています。

【参考】自分を守る嘘、壊す嘘
【参考】破滅へ一直線!「ママになりたい★」系女子のヤバさ

出産の喜び♪
母である喜び♡
そんな幸せアピールが、承認欲求を満たしてくれる。


↑この子は生まれてきた2カ月後に虐待死します。この小林幸輝被告によって。
【参考】手で口ふさぎ乳児殺害 容疑で父親の小林幸輝被告20歳を再逮捕 日常的に虐待か – 産経ニュース
虐待する親ほどSNSでいい親アピール激しいって、一体なんなんですかね…。

今回の船戸優里容疑者も、Facebookで「ママってハッピー★アタクシ子育て頑張ってる!子育ては親育て♡」アピールをしていたそうです。

【画像】船戸優里容疑者のFacebookより



【画像】或るアホウの一生(3) 或るアホウの一生 1

ここで「虐待を減らすためには児相の権限強化を」とか「親権の制限を」とか、いくらでもそういうことは言えます。だけど、実際にそういうことをしたところでこういう痛ましい事件がなくなるのかというと、そうもいかない気がします。

なぜなら、こういった家族問題、虐待の問題というのはマトリョシカのような入れ子(連鎖)だからです。現在自分が子どもを育てているかどうかに関係なく、人間世界のある実相をうつしているからです。

亡くなった船戸結愛ちゃんはこんな文章を書いていたそうです。

もうパパとママにいわれなくても
しっかりじぶんから きょうよりか
あしたはもっともっと できるようにするから

もうおねがい ゆるして ゆるしてください
おねがいします

ほんとうにもう おなじことはしません ゆるして

きのうまでぜんぜんできてなかったこと
これまでまいにちやってきたことを なおします

これまでどんだけあほみたいにあそんだか
あそぶって あほみたいだからやめる
もうぜったい ぜったい やらないからね

わかったね ぜったいのぜったいおやくそく

あしたのあさは きょうみたいにやるんじゃなくて
もうあしたはぜったいやるんだぞとおもって
いっしょうけんめいやって
パパとママにみせるぞというきもちでやるぞ

これを見て私は
「居酒屋甲子園かな?」
と思いました。

なんか、流れている空気が同じなのです。
ポジティブにいつも感謝。絶対的成長。

多分、これ、親が教えてたんだろうなと。
親が教えないと、こんな文章5歳児にはまず思いつきもしないでしょう。だって、子どもは遊ぶのが仕事じゃろ。「あそぶってあほみたいだからやめる」って、違和感しかない。

実録マンガ「不倫サレ日記。」にはこんなシーンがあります。
親が入院中で大変なので家事を手伝ってほしいと妻が伝えたら、夫はこう返すのです。


【画像】「不倫サレ日記。8話」/あめ子[pixiv]

(マンガ内では弱音を吐かずに強くなった妻が夫からすると可愛げが無くて嫌でゆるふわ系女へ不倫に走るというオチがついております)

この「会社の研修で言ってた」こと。
メチャクチャ自己啓発セミナー的じゃないですか。
この結愛ちゃんの手紙も、自己啓発臭はんぱなくないですか。

その「自己啓発臭」を植え付けたのは、父親なのではないでしょうか。結愛ちゃんの父親は、「不倫サレ日記」の夫のように会社で研修を受けていたのではないでしょうか。○○甲子園のように、ポジティブな言葉にあふれかえった研修、または教育を。

要するに、私たち大人は「不満を持ってはいけない。今の状況にこそ感謝をして一日一日生きよう!」という思想にどっぷり染められがちなのです。「地獄じゃない。ここは天国なんだ」と考えるように訓練されているのです。

虐待された子どもは、客観的に見てヒドイ毒親だったとしても、親を恋慕います。結愛ちゃんのように「わたしがわるいんです!わるいところをなおします!!」と頭を下げて、叩かれるようなことをした自分が悪いと反省します。だから笑顔のステキな「いい子」ほど、往々にしてヤバイ育てられ方をしているものです。

ブラック企業勤務の社畜は、客観的に見てヒドイ環境だったとしても、上司を尊敬します。「自分の努力が足りないんです!悪いところをなおします!!」と頭を下げて、目標を達成できない自分が悪いと反省します。「こんなダメな自分を必要としてくれる会社なんて他に無い」と転職も考えません。

恋愛依存のメンヘラは、客観的に見てヒドイDV男でも「本当の彼を理解できるのは私だけ」と思い込みます。「私の愛が足りないんです!悪い所をなおすから捨てないで!」と頭を下げて、殴られるようなことをした自分が悪いと反省します。悪いことをしても殴らない男がいるという現実を見ようとはしません。

居酒屋、介護士、トラックドライバーなどの業界で、「甲子園」と呼ばれるイベントが人気だ。「夢をあきらめない」「みんなを幸せに」…どれだけ言葉が心を打ったかを競い合う。震災以降、こうしたシンプルで聞き心地のいい言葉の多用が、若い世代のみならず、広告宣伝や企業の研修、そして地方自治体の条例など公共の言葉にも広がっているとして、社会学者や批評家らが「ポエム化」と呼んで分析を試み始めている。共通する特徴は、過剰とも思える優しさ・前向きな感情の強調だ。この風潮を特に支持するのは、「年収200万時代」の低収入の若者層と言われるが、厳しい現実を生き抜くために現状を肯定しようとする傾向が年々強まっているとされる。

結愛ちゃんの死は、まったくもって「入れ子」なのです。
子どもか大人か、子育てをしているかしていないか、そんなこと関係なく、今の世を生きる人間の多くが経験させられている状態なのです。社会の中で、果てしなく連鎖しているのです。

地獄こそ、すばらしい天国という洗脳。
何事もありがたいと思えと黙らせて搾取。
「自分の感覚は間違っている」という否認。

親が子に、夫が妻に、上司が部下に、金持ちが貧乏人に――パターンは無限にあります。どんなパターンかは問題ではありません。本質的に私たちは目を曇らされ、間違ったことを正しいと思い込まされている、それが問題なのです。

虐待されている子だけではなく、社会全体がすでに、ストックホルム症候群なのです。低収入の派遣社員がネトウヨになって安倍晋三を崇拝するように、私たちは「もっとも自分を苦しめる相手」こそを愛し尊敬するように仕向けられているのです。

ああ、まったくもって、私たちの多くは正しく「被虐待児」ではないですか。
死んだ結愛ちゃんは、もう一人の自分ではないですか。

「毒親が悪い」というのは簡単だし、それで自分には関係ない問題と片付けることは造作もないことです。だけど、そうしていてはいつまで経っても気づけません。
どうして自分の毎日がこんなふうになっているのか。何が根本的な問題なのかを。なぜ努力するのが当たり前で、自分という存在が大切に扱われず評価されないのかを。

あなたは誰かを尊敬し、崇拝してはいませんか?
その相手は、あなたの心を殺す存在なのかもしれないのに。

家族はいわば“人質”のようなもので、たとえば子供が生まれればその親が逃亡する心配はなくなる。そして何よりも、家内出生奴隷が増えることによって若い奴隷を確保できるわけで、その世代は親の世代の奴隷が解放されたり命を落としたりして人数が減った時、それに代わって家を支えてくれる。
(中略)
アイソポス(イソップ)のハトとカラスの話では、「いちばん惨めな奴隷は子供を産む奴隷。産めば産むほど惨めな奴隷が増えるだけ」とされている。

リンデンバウムの一番人気!スピリチュアルカウンセリング
関連記事