拝啓 NOZOMI様
お世話になります。去年の十一月にセッションを受講しましたKです。お返事が大変遅くなりましたが、セッション受講後の生活面、心理面での変化をご連絡したく思いまして筆を取りました。
先生から頂いたカードに「世間の期待に応えても虚しいばかり。我が道を行きなさい」と書いてありまして、現在その通りになっております。具体的には今年の一月から何か良いことをしようと思い立ちまして、休日に小一時間ほどゴミ拾いをしております。
初めは周りの目線等が気になり、恥ずかしく、またゴミも様々なものが落ちておりまして非常に抵抗がありましたが、それでも続けていく内に少し楽しくなってきている自分がおり、思わぬ変化をもたらしております。去年は孤独感や空虚感に苛まれることも多かったのですが、ごみ拾いをやり終えた後は何か「宇宙と繋がっている」様なとてもすっきりした気持ちになり、またいろいろな物事に対しても以前よりも積極的に取組めるようになっております。
そういった行為に連鎖しまして「何か自分で表現したい」と思い立ちまして、個人レッスンに近い絵画教室も通うようになりまして、サラリーマンでの色々と気を遣わなければならないストレスと違って、
「自分の魂を純粋に表現(ぶつける事が)出来る場」
を設けたことにより、生活に張りが出ました。
アリスミラーさんは初めて知りましたが、まさに今絵を習ってる先生もウン十年鬱病を繰り返しているらしく、自分の心の傷を癒すために描いていると言っていたので、先生のお話と共通していてビックリしました。
振り返ると私は、nozomi先生をはじめ、人生の分岐点でどちらを目指して良いか分からない時、その要所要所で良い師に巡り合うことが多く、まるでロールプレイングゲームの様な、停滞期はあってもいつの間にかレベルが上がっている人生だなあと思います。
平凡な私が自分の意思とは無関係に流される様な人生でありながらありえないシンクロを何度か経験しているのですが、その不思議さを味わうと何か目に見えない力を感じずにはおれないし、畏怖の念を覚えます。
また休みの日は以前は窓もほとんど開けない生活でしたが、今は窓を全開にし、家にいる時間は玄関も開けっぱなしにし「こんなに空気、風は気持ちよいのか!?」と今更ながら感動を覚えております。
他の人からしましたらたかがそんなことと思われるかもしれませんが、私にとってはとても大きな変化です。
これも北海道まで足を延ばした甲斐はありまして、先生には感謝しております。
今の所、誠に恐縮ですが先生の所に足を運ぶほどの重大な悩みはございませんが、また何かございましたらセッションの程、宜しくお願い致します。
駄文で先生の貴重なお時間費やしてしまいましたが、何かしらお返事を書かねばと思い延び延びになってしまいお詫び申し上げます。
先生もお体ご自愛ください。失礼します。
熊本市 K
Nozomiより補足
文中にあるアリス・ミラー(1923‐2010)とは、魂の殺人の作者です。
良い親や立派な教師が、しつけと教育の名の下に子どもを殴り傷つけ、人間性を破壊し、支配欲を満たしてきた。そしてある日、凄惨な事件が発覚して世は騒然とする―独裁者の子ども時代を暴き、子どもの権利と尊厳を説く。時を超えて読み継がれる、驚愕と赦しのストーリー。(「魂の殺人」内容紹介より)
親の「しつけ」が子どもを傷つける「虐待」になっていると告発をしたのが、アリス・ミラーです。それは今から実に40年も前のこと。「親が子供を殴ってしつけるのは当たり前だ」という「常識」の中での、大変に勇気ある行動でした。
人間性を破壊する「しつけ」を告発していく中で、アリスは自分自身もまた親から傷つけられてきたことに気がついていきます。
その傷を癒していったのが、創作活動、「絵」です。感情をキャンバスにありのままにぶつけることで、見事にハートとつながりなおしたのです。
アリスが自己ヒーリングのために書いた絵は、「子ども」の絵―成人女性の絵画が語るある子ども時代で見ることができます。
実に「へたくそ」で、幼稚園児が描いたような絵ばかりです。
だけど、この絵こそが心を癒していきました。アリスは「人に認められるために上手く描こう」とはせず、とことん心に正直に、キャンバスに色をぶちまけたのです。
ここで「承認欲求」がでて、「いい絵を描こう!」だなんて思ったら、癒しは起こらなかったことでしょう。
「世間の期待に応えても虚しいばかり。我が道を行きなさい」
そうすることで、アリスは尊い癒しを得たのです。