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2018-04-11

高学歴は本当に幸せなのか

安楽死を遂げるまで

彼は、一般的に安楽死を行う人々には、ある決まった特徴があると言った。(中略)「まずは白人の(White)のW、次に裕福の(Wealthy)のW、三つ目は心配症(Worried)のW、そして最後は高学歴(Well-educated)のWです」

安楽死を遂げるまでには、前述の医師が「深刻な親子問題を抱える人たちほど、患者が死期を早めようとしていました」(P199)と述べています。少々乱暴ですが、安楽死を求める人には高学歴が多い≒高学歴のほうが親子関係が悪い、とも言いかえられます。

なぜ高学歴だと親子関係が悪くなるのか。それは母親が醜い「お受験ママ」になるからです。子どもの受験に命をかける親は、子にとっては無条件の愛をくれる存在ではありません。いつでも条件付きです。「○○に受かったら、あなたを認めてあげるわ!」受験に失敗するような子は、愛されない子どもなのです。

私は、妹を見下していました。
なぜなら、妹は偏差値の低い子だったからです。といっても、特別劣っているわけではなく、あくまでも普通レベルでした。だけど、親から明らかに見下されていた。母は私の前で簡単に「あの子はダメだから」と口走るような状態でした。

妹は絵の才能があり、高校生の頃にはコミケで同人誌を一日300万円くらいポイポイ売上ちゃうスーパーJKになっていました。貯金しまくりでした。そして実際に漫画家にもなりました。

そんなに素晴らしい才能があるにもかかわらず、妹は見下されていたのです。偏差値が低いから。私の両親に通底する価値感は「学歴が低いことは、人間として劣っている」というものでした。

父はこういったものです。
「私大に行くようなやつは、どうしようもないバカ!」

勉強さえすれば、家の手伝いは免除されました。
勉強を理由にすれば、嫌なことから逃れられました。
成績さえ良ければ、陰で隠れて酒を飲もうが夜遊びしようがOKでした。

そらギャルにもなるわ。

「灘→理Ⅲ」3兄弟の母の教育論についての記事を目にした。

奇遇ですね。
実は私のうちも兄弟全員東大だったんですよ。
まぁ私は出来が悪くて理1で他のが理3なんですけどね。

とても他人事とは思えない内容だったので
今日はこの3兄弟を東大理3にいれたこの母親さんの教育論について
かつて同じようなガチガチの教育を受けた子どもの立場から、
当時何を思って、今はどう思っているか?
書いていきます。
教育ママさんたちの参考になったらいいなァ。

(中略)

上の記事に書かれているこの教育ママさんの教育論の要旨は、
『受験は受かってなんぼ、いい大学に受かることのみが勝利』
『とにかく子どもを管理して勉強以外のことをさせない』
ということだろう。

家ではリビングに勉強机をおいて子どもを常に監視下に置く。
その他勉強以外の煩わしいことは全て排除する。
他記事では、学生時代の恋愛は無駄でしかない、だとも。

(中略)

あぁん?なにこのクズ親。
寝言は寝てから言えやカス。
さっさと○ねばいいのに。
吐き気をもよおす邪悪とはまさにこういう自覚のない毒親のことをいう。

こんなのが私の親以外にも存在していて
さらにそいつの信奉者?みたいな身勝手でバカな親が何千人もいるというこの胸糞悪い世界に対して私は激しい怒りを覚える。

故に今日はこいつの教育論が子どもの将来にどういう悪影響をもたらすか経験者の立場からボロクソに書いてやろうと思う。
耳の穴かっぽじって聞けクズ親どもが。

(中略)

確かにそうやって子どもの人間性を破壊し尽くして
ただのモノとして、受験マシーンとして勉強だけさせていればそりゃいい大学受かるよ。

本来普通のこどもが社会性を培って人間的に成長して大人になっていくために使うべき莫大な時間と労力をすべて受験勉強にぶっこむんだからそりゃ俺みたいな凡人でも東大くらい受かるわ。
そりゃそうよ。
当たり前も当たり前。
むしろ代わりに失われるもののことを考えれば割に合わないくらいだ。

学歴さえあれば会社がスカウトしに来て一生安泰みたいなバブル期の頃の日本ならそうやって必死こいてでもいい大学入る意味もあっただろうが、今はそうじゃねえ。
現代の就職及び就職後の世界では学歴なんてすでにほとんど意味が無い。
就職以外の面でも、例えば恋愛で女性が男性に求めるもののランキングなんか見てても学歴なんて下の下の価値、ほんの数%しかいない。
はっきりいって学歴そのものはまったくの無意味。
こんな馬鹿みたいな努力して無意味な学歴手に入れたところで何の得があるのか?

まずはここを強調しておこう。
学歴なんてものは人生において何の意味も持たない。
せいぜい言われたことをある程度は真面目にこなせますよという証程度の価値。
万が一学歴があれば何でもうまくいくと勘違いしているバカな親がいたら今すぐその間違ったアホな認識を改めろ。

私は中学校まで地元の公立に通っていました。
当然、エブリディ動物園でヤンキーもモリモリいました。「盗んだバイクで走りだす~♪」なティーンズロードの世界です。

そして、高校から都会の進学校に行きました。
高校~大学は小学中学の雰囲気とは全然違いました。
スゲエ皆様お上品なのです。物わかりの良い大人しい羊。

田舎ヤンキーの中、レッツパーリィで野蛮な日々を送っていたイナカモンの私は当然浮きました。クラス内の女子グループには入れず、結局委員会で仲良くなった他クラスの授業サボってファーストフードにたまってるような子たちと3年間一緒にいました。

高校でも大人たちはチョロかった。なぜなら、私は成績の良い子だったからです。成績さえ良ければ、大人たちは文句を言わないのです。人としてどうかと思うようなことをしてたって、見てみぬふりをするのです。だって、私は貴重な「いい大学現役合格者」の候補者なんだもの。頭数稼がないと困りますもんねぇ?

サボるのも簡単でした。「せんせぇ~お腹痛いんですぅ~帰ってもいいですかぁ?」といえば「おお帰れ帰れ!大事にしろよ!」といわれてアッサリOK。でもって友達のたまり場に行くわけです。
いや、授業なんて聞いたってしょうがないでしょ?授業はサボるかマンガ読むか寝るためにあるもんでしょ?勉強するなら自分で教科書読んだほうが早いもん。それは小学中学だってそうだったもん。

とにかく、私にとって大人というのはチョロイものでした。
良い成績さえ取っていれば全部OK。勉強を言い訳にすれば全部OK。大人を引き立てる見目良いアクセサリーでいれば全部OK。

それで言うわけですよ。
「大丈夫!まだ子供だからわからないわよ!」
子がわからないふりをしてあげて無邪気ぶってるのがわからない低能ぶり。

そんな人生に、生きてる充実感なんかあんの?
ねえよ。

安楽死を選択したがる高学歴がいんのも、メッチャ納得いくよ。

「人々は、耐えられない痛みのせいで安楽死を選ぶのではなく、これ以上生きてもしょうがないという、別の理由から死を選ぶ傾向のほうが強いといいます」(P199)
「エイミーは天才的な頭脳の持ち主で、彼女の言葉に嘘はありません。私は彼女に生きる価値を与えたい」と語る。その方向性の一つが、奇妙ではあるが安楽死なのだという。(P156)

ほとんどの大人は、私に本気で向き合ってくれることなんかなかった。
「成績の良いイイコ」ぶってれば、みんな満足してそれ以上何も考えなかった。

だけど、大人はアホだからわからないけど、子どもはわかる。
子どもは純粋な目で本質を見抜く。
大人よりも賢い。

いい子ぶってる私を見抜いたのは先輩女ヤンキーどもで、「お前最近態度でけぇんだよ」とヤキ入れられたことがあった。その頃のテニス部女子は目を付けられることも多くて、私以外にもやられている子はいた。

そのせいか、私がヤンキーにヤキ入れられたことも先生に伝わったらしい。新任の熱血教師だった担任は、私に
「何かあったんだろ!?言え!」
とウザ熱苦しくまとわりついてきた。

私はいい子の仮面で
「大丈夫ですよ~!先生考えすぎですって」
と笑顔でかわそうとした。

だけど、担任はかわされても逃げられても何度も食い下がった。
しつこかった。うざかった。
だから、私は笑顔でこういった。

「先生って、自分が信頼されてるとでも思ってるんですか?」

その言葉に、先生はグッと詰まって涙目になった。ダサかった。ざまあみろと思った。
先生はとぎれとぎれに詰まりながら格好悪く言った。
「俺んことっ、信頼できんいうなら、それはっ、しょんなか!ばってん、大人に、誰かに相談しんさい!」

それから、そのことで声をかけてくることはパッタリとなくなった。勝ったと思った。
良い子だと思ってた子から良い子にふさわしくない本音を出されたら、すぐ逃げ出すような大人。私の親と同じ。

でも、数週間後私は学年主任から呼び出される。
「お前、3年から呼び出されてただろ。お前のことも殴ったって吐いた。お互いの担任立ち合いでどうしてそういうことになったのか話しあいをする予定だ」
「そうなんですか。じゃあ私もいきます」
「えっ?無理しないでいいんだぞ。怖くないのか?」
「いや、直で話したほうが早いでしょ。私がいれば嘘ついてもばれますし」
「お前がいいっていうならいいけど…。でもお前の担任、すごい心配してたから会わせたがってないんだよなぁ」
「先生が?」
「ああ、今回のことで動いたのは主にお前の担任だからな」
「………」
「自分じゃダメだから俺から話通してくれって言われて、来たんだけど」
「………」

うざい。お前なんか信用してない。
そんな扱いを受けたのに、先生は私のために動き続けていた。
結局、ヤンキー先輩方は私に謝罪して、以後ボコられることはなかった。

あるヤンキー男子は私にこういった。
「アイツはな、違う。俺みたいなクズでもちゃんと向き合ってくれるんだ。俺のこと本気で殴ってくれる。そんな大人は担任だけだ」
いや体罰はアカンやろ…。とツッコミたくなるけれども、結局このヤンキー男子はこの教師のことをひどく信頼していた。借金だらけのアル中の父親に殴られる母親。そんな大人を見て育った彼が、この教師と学年主任には心を開いていた。

卒業式のあと、魂の道を行こう、それが生の道だから。で一緒にスタンドバイミーした男子二人がその教師の前に走っていって、直立した。
「先生ッ!今まで!ありがとうございましたっ!!」
そう叫んだあとに帰ってきた二人は「アイツ涙目になってやがんのー!」とゲラゲラ笑っていた。自分も目がうるんでるのを隠すように。

まあ私も人のことは言えず、式の間泣き通しで「うぇっひぃぃぃうぇぐうぅ~~」と非常に汚い顔面でボロボロになっていた。隣席の柔道部男子に「オイ……お前、本当に大丈夫か…」とドン引きされる始末。
春休み中も、槇原敬之の「三月の雪」を聞いては泣いていた。
そして高校入学しても都会モンに馴染めないというオチ。

私が非常に有機的な人間のつながりを感じたのは、中学までのあの野蛮な動物園だった。高校から大学に行って勉強のできる人たちの中にいても、そういう生々しいつながりは全然感じられなかった。本気の気持ちのぶつかりあいなんかしない。偏差値の高い人は、もっと洗練されたしぐさで受け流すから。大人に気にいられるようにふるまうのが上手いから。

アメリカで安楽死を望むのは高学歴の人が多いらしい。
私にはそれが分かる気がする。
高学歴の世界に、愛はない。

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