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2018-04-10

「生きていたって意味なんかない」でいい

ものすごく冷酷に聞こえるかもしれませんが、苦というものはこの物質界においては必要な物です。快があると同時に、苦がある。二元性の世界では当然のことです。

快楽を味わうことで私たちはこの物質界に執着し、苦を味わうことでその執着を手放していきます。

母の乳を含むことで身体には快が行きわたります。生きたいと思います。
老いて病み、体には苦が行きわたります。死にたいと思います。

まるで呼吸のように、吸い込んだものを次には吐き出すのです。
せっかく吸い込んだなら、吸ったままにすればいい? いや、吐きださずにはいられない。そしてどうせ吐き出すのがわかっているのに、また吸い込む。ただただ、繰り返す。

まずは「楽しい」を味わい、そして次には「苦しい」が来る。「楽しい」は必要です。まず執着してからこそ、手放しが重要になるのです。手放すために、失うために、楽しむのです。
「自分の好きを大事にしよっ☆」「楽しいことしかしたくない!」そうやってメディアが煽った後で、苦しみを伴う手放しの時が来るのです。メディアの煽りに乗るのは愚かですが、正しい選択でもあります。一度は経験すべき通過儀礼だからです。

どちらも味わってこそ、統合が訪れます。
はじめから清く正しく禁欲ばかりしていては、この物質界に深く根付けません。スピリチュアル好きの人が往々にしてこの世界にとどまらざるを得ないのも、まずは快に溺れるというプロセスをないがしろにして、手放しばかりやろうとするからです。そもそも手放すような金や地位すら得てないのに。

十分に、味わって、その後で手放すからこそ深くこの世界を知ることになるのです。
物質があるという状態がどういうものかを。二元性というものがどういうものかを。

「神様は越えられない試練は与えないなんて嘘だ!」と言いますが、苦に打ち負かされて「もうダメだ」と絶望や諦観するのも、立派にミッションをこなしていることになります。

だって、「もうこんな世界いやだ、いたくない」と思うことで、物質界への執着を手放していけるんですから。いや、そもそもが最終的な目標点はここですよ?「もうこの世界卒業してえ~!生まれ変わりたくなんかねえ~!」っていう。

いつでも上手くいって健康で満ち足りていたら、いつまでもここから出ていけません。
この快楽にあふれ、苦しみに満ち溢れる世界から。

苦しみぬいて絶望して「生きていたって意味なんかない」と虚しくなるからこそ、次の扉が開くのです。
だから何やったって、わたしたちは大いに楽しみ、その後に苦しみます。
それで良いのです。実に正しい道を行っているのです。

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