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2018-04-09

お金を使わないと、気持ちがいい

世界的にものすごくお金が余ってきており、これを消化しないという状態が、米国にも欧州にも、また世界全体に広まりつつあります。「金利が安くお金がだぶついているので借りて何かに使う、運用する」という時代ではなくなってしまったのです。

人間の金に対する欲望というものが従来とは全く異なってきていて、これまでの20世紀の経済原論はもはや通用しない。この傾向が米国でも欧州でもかなり顕著に出てきたように思います。

私は昔からお金を使うのがあまり好きではありません。
貯金が好きでウヒウヒ喜んでいたのも「こんなに節約できちゃった。イヒヒヒ」という「お金を使わないで済ませた」という快感を覚えていたからです。

関西の人は「これ安かったん、千円やでぇ!」といかに自分が金を使わなかったかを自慢し、関東の人は「これ○万円もしちゃったけど、思い切って買っちゃった!」といかにお金を使ったかを自慢する文化があるそうです。
この基準でいうと、私は関西圏の人間ということになります。

金を使わずに済ませるのは、とても楽しいことなのです。

金がなくても食っていけます

愛がなくても喰ってゆけます。

……間違えた。
愛じゃなくて金だ。
そう、金がなくても生きていけるのです。

ぼくはお金を使わずに生きることにした

マーク・ボイルの「ぼくはお金を使わずに生きることにした
この本には、彼が1年間1銭もお金を使わずに生活した様子が記されています。
しかも、それが魂の成長を促している様子さえ見て取れるのです。

ぼくの一年は、ある意味で困難の日々だったが、見方を変えれば、これまでの人生で一番幸福なときであった。人生とはつねに「完全」なものではないこと、この社会で当然視されている事物のすべてが、必ずしも神の与えたもうた権利ではないことを、ぼくは実験を通して受け入れるようになった。人生はいつだってなるようにしかならない、完全に不完全なものなのだ。この事実に身をゆだねてしまったあとは、カネなし生活につきもののちょっとしたやっかいごとや不便さを受け入れるのが、楽しみに変わった。
実験でぼくの毎日は一変した。一年間でこれほど多くを学んだのは、生まれてはじめてだ。全く無意識のうちに身についていた教えすらあった。(P263~264)

ぼくがカネなし生活から真っ先に学んだ最大の教訓は、人生を信じることであった。みずから与える精神をもって日々生きれば、必要なものは必要なときにきっと与えられる。ぼくはそう確信している。これを理性で説明しようという努力は、とっくの昔に放棄した。感性と経験から導かれた確信である。(P270)

愛情、敬意、気づかいをもう少しこの世界に注ぎこんだら、それらの蓄積された世界から、皆が恩恵を被るに違いない。複雑な理論でも何でもない。たしかに、惜しみなく与え受けとる流れの中に身を置くには勇気がいる。ぼくだっていつもうまくいくわけではない。だけど、この流れに身をまかせているときが、ぼくにとって一番幸せな時間だ。人生はいともたやすく感じられ、抵抗することも、潮に逆らって泳ぐこともない。必要なものは人生が与えてくれると信じるようになってから、ぼくは何事にもとらわれなくなった。心配から解放されると、本当にやりたいことができるようになる。(P271~272)

実にスピリチュアルな気づきに満ちていると思いませんか。
でも、それは当然のことかもしません。だって、自然と共に歩むということは宇宙のリズムをつかむということなのだから。

「お金無しでも生きていけるよ!お金から解放されることができるんだよ!」
こう言われたら、多くの人がいいなあと思うことでしょう。だけど、次にはきっとこういいます。
「でも、自分には無理だよ」

マーク・ボイルの素晴らしいところは、自身は「カネなし生活」を成し遂げながらも「俺のようにやればいいんだよ!」とは押し付けてこないことです。「できるところからはじめよう、例えばこんなヒントがあるよ」と、小さなことから教えてくれるところです。

彼はガンジーに私淑しています。そのガンジーの言葉が、お金から解放される第一歩になりました。
その言葉はこれ。「世界を変えたければ、まず自分がその変化になりなさい……例えひとりきりの少数派であろうとも、何百万の仲間がいようとも」(P16)

そこで、彼は自分を変えていきます。まずは小さなところから。サバイバルのスキルを覚え、生活の知恵を身につけて、そしてようやくカネなし生活に入っていく。いきなりカネを手放したわけではないのです。ちょっとずつちょっとずつ前進して、辿りついた先なのです。

だから、お金からふりまわされる人生が嫌なら、今の自分の生活の中から「お金を使わずに済ます」を見つけていくことです。

〈お金を使わない生活を始めて〉もうすぐ一年が経つが、銀行の取引明細とも、公共料金の請求書とも、税金の確定申告とも無縁でいたいという考えに、ますます惹きつけられていくのだった。(P236)

〈〉は記事作成者による補足

何かを所有している人など、どこにもいやしない。だとすれば、カネなしになるとは、これまで何も所有していなかったと認めるだけの話である。何かをなくしても、もともと所有していなかったものだと思えば、喪失感はない。誰かに何かをくれと頼まれたら、あげても惜しくない。あげるといっても、そもそも自分の物ではないのだが。そうして、必要な物は必要なときに手に入ると信じよう。(P176)

例えば、わたしはカメラを持っていません。まず使わないからです。
でも、2~3年にいっぺんくらい必要な時があります。そういう時は友達に借ります。そのお礼に食事をごちそうしたりしますが、友達は大抵遠慮します。「こんなことくらいで、そんな」と。でも、カメラを買ったら安くても6千円はするんです。スマホなら2万くらいしちゃうでしょう。ものすごい節約なのです。

冬の間、お隣さんが除雪をとても丁寧にやってくれていました。夜遅くに帰ってきてもキッチリやってくれるので、私は大助かり。
ある日ネットで無農薬野菜をお取り寄せしたら、葉物が大量に来ました。湯がいて冷凍したりゴマ油と醤油で炒め煮にして常備菜にしたりもできますが、限界があります。冬場なら「よーしキャベツ一玉丸々ザワークラウトにしちゃうぞ!」って手もあるのですが、暖かくなってくるとそれも難しい。なので、私は食べきれない葉物野菜をそのご近所さんに持って行きました。「食べきれないでだめにしちゃうともったいないので。それに冬に除雪綺麗にやってくれて本当に助かりました」と。
私はタダで除雪をしてもらって、お隣さんはタダで野菜を手に入れたのです。

お金を使うと、余計な手間をカットすることができます。時短できます。
だけど、それによって人生の一番大切なものも見失ってしまう気がします。
だから、できうる限りお金を使わない生活をするのです。それが楽しいのです。

環境破壊によって人間が幸せになったのならば、それもいいだろう。地球を火あぶりにして喜びが得られたのだとしたら、その行為にもまだ正当化の余地がある。しかし、経済的に豊かになったぼくらが以前より幸せになっていないのは、なぜだろうか。南カルフォルニア大学の経済学者リチャード・イースタリンの指摘によれば、われわれが乗っかっている「消費主義のルームランナー」の問題が大きい。どこまで行っても満足することがなく、つねにより多くを欲しつづけるしくみだ。(P211)

どのような生活であれ、みずからが信じる生き方を始めた瞬間に、誰もがそれまでより健康になるはずだ。肉体的にも、精神的にも。自己鍛錬は魂を解放するものであって束縛するものではない。(P95)

ちなみにこの本をカネなしで読むには図書館で借りることです。札幌市の図書館には5冊も置いてあります。※2018年4月現在
彼の2冊目の著作はネットでカネなしで読めます→The Moneyless Manifesto(英語)
ちなみに、彼の本を訳している吉田さんは、半農半翻訳という生活を送っているそうです。
【参考】『無銭経済宣言』訳者が語る、ローカルに息づく豊かな「経済」とは/吉田奈緒子さん

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