型にはまることも、悪くはない

スピリチュアルブログ

マンガ或るアホウの一生が面白すぎて、将棋を指してます。
或るアホウの一生(1) (ビッグコミックス)
或るアホウの一生 1

今はね、みるみる強くなる将棋で勉強してましてね。

チェスもそうだけど将棋ってルールにさえ従えばどう駒を動かしても良いのですよ。自由なんです。
この自由さが、メッチャ困る。何をやっていいかわからない。

まるでロマンシング・サガ。気がついたら「な なにをする きさまらー!」で冥府行き。(なんで!?なんでフロンティアが壊滅してんの!?知らないよ!!!)

そんなんじゃ皆困ってできないですよね。何をしたらいいか一つ一ついちいち考えんのメンドクサイよね。
そこで、将棋には「定跡」というものがあります。一定の型があるんです。

【画像】或るアホウの一生(2) 或るアホウの一生 2

定跡では「どこに何を打ってどうやるか」が全部決まってる。マニュアル通りやればできちゃうので、らーくちーん♪
型にはまると自由がなくなるけど楽ができるんです。考えるために使わなきゃならないエネルギーを大幅に節約できる。

これは挨拶なんかもそうですね。「人に会った時には、はじめにこういうものである」と定義しておけば、「あっ、○○さんだ。えと、なんて言えばいいだろう、ええと」なんていちいち考えずに「こんにちは」一言で済む。
型にはまることによって心が通じ合うような精密なコミュニケーションにはならないけれども、とりあえず何にも考えずに礼儀を示すことができる。

「型にはまって思考停止」というとものすごく悪いことのように見えますが、自由の無いことに利点もあるのです。

例えば、茶道。

茶道、嫌ですねー。私、着物大好き人間で和裁やって自分で仕立てちゃうくらい好きだけど、茶道だけは絶対!近寄らない!って心に決めてますよ。
だってクッソめんどくさいもん!!「あの場に呼ばれた時はこの格の着物で、客がこういう人の場合は客を立てるためにこれは着ちゃいけなくてこれはダメであれはダメでそれもダメで色無地用意しなさい白足袋白襟大正義ザーマス」

キイー知るか!
絶対行かない!!
和菓子苦手だし!練り物嫌い!!

と発狂してしまうくらい茶道の「人間を型にはめまくる」厳しい様式が大ッ嫌い!な私ではありますが、だからといって茶道に価値が無いとは思いません。

茶の湯は、命のやり取りをする荒くれものの戦国武将から好まれました。戦場で会ったら敵同士でも、茶室では共に茶を嗜む、幽玄なる時を分かち合う尊い同士になるのです。そこには、言葉ではとても言い表せないような深い心の響きあいがきっとあるに違いありません。

そんな荒くれもの同士が、なぜ対等に茶の厳粛なるひとときを共有することができるのか。普通に顔を合わせたら、マウンティングどころじゃなく殺し合いになってもおかしくありません。なのに、互いを尊重し、静かに時を分かち合えた。

それはひとえに、茶の湯の作法によるものでしょう。
型にガッツリはめるからこそ、その場では普段の立場から解放され、心から自由になれるのです。

一度茶室に入れば人間の身分に上下はなく、茶室という小宇宙の中で「平等の存在」になるということだ。千利休の生涯

言ってみれば、茶筒の中の茶葉は、茶筒という閉鎖空間の中に閉じ込められているからこそ、その中ではどこまでも自由にさらさらと安全に動けるわけです。これが筒なしだと、簡単に風で飛ばされてバラバラになってしまいます。
「縛り」があることで味わえる種類の自由もあるのです。

あなたは自由に耐えられるの?


「毎日なんでもやりたいことをやりたいときにやっていい」
そんな生活にあこがれる人がいます。

でも、そういう限りない自由な生活が、本当にあなたを幸せにするのでしょうか。
あなたは、果てしない自由を手に入れた時、気が狂わないでいられますか?

言ってる意味がわからない?
じゃあ、想像してください。
「2ヶ月働いて、半年分のお金が稼げるとします。あとの4カ月は自由です。さて、あなたはどんな生活をしているでしょうか?」

2ヶ月集中して働いて、次に声がかかるまでに数カ月単位で休みってことがある。この間にかなりの奴が腐るんです。
番頭や店長からどれだけキツく言われてても、クスリに手ェ出したり、派手に遊んでるとこをヤクザに目ぇつけられてつぶされたり、カジノに入り浸ってバカラで一晩何百万円擦っちゃったり。

これですよ、これ。
暇がありすぎると堕ちちゃう人って、一定数いるんですよ。
「毎日7時に起きて9時に出社して夜まで働く」みたいな縛りがあることによって、実は自分のリズムを整えることができる人っているんですよ。

私は超フリーダムに生きているので、「自由な生活でかえって精神病む人いるだろうな」ってすごいわかります。
だって、誰も制限しないんですよ。もちろんセッション入ってる時はお客様に合わせて動くけど、それ以外全部フリータイムなんですよ。いつ起きていつ寝てもいいんですよ。いつご飯食べてもいいしいつ風呂入ってもいいんですよ。セッション以外の雑務だって、昼やったって夜やったってどっちだっていい。

ある程度自分を律することができる人じゃないと、あっという間にアル中ヤク中なるわなって思います。だって、誰も制限してくれないんだもん。めちゃくちゃ自由なんだもの。

大学入った時に、シラバス渡されて「えっ、自分で時間割組むとか、どうしたらいいの!?」って思うか「やったぜ自分で自由に時間割決められるんだ!」って思うか。
自由を謳歌するにも、適性があるんですよね。

型にはまっちゃいけないとか言うけど、ある程度型にはまってたほうが幸せだったりする人もいるんだよね。「なんでこんな理不尽なルールに縛られなきゃならないんだ!」とか不満に思ってるその縛りこそが、自分を楽にしてくれてたりするんだよね。

善は悪で、闇は光。
自由は不自由で、安定は不安定。
すべては二元性を内包しているのです。

さあ、あなたは「どのくらい自由」でいたいですか?
どのくらい型にはまっておけば、一番楽で心地よいですか?

世界は想念によって動くという考え方が成り立つことになると、この段階で、物理学的な法則は全部チャラにされてしまう。
だから、科学は最後の最後まで、世界は想念で動くということを必死で否定するだろう。自分を台無しにするものを容認にするわけにはいかない。(中略)

いままでは物質の安定によりかかって、自分は安定しているかのように思い込んでいた。が、この土台が流動化を始めると、実は自分が自力ではひとときも立っていられないことに気づかされる。

サラリーマンが自分は毎日規則正しく生活していると思っていたが、定年退職すると、毎日異様にだらしない生活になってしまい、いままで会社が秩序を作ってくれていたのだと気がつくように。

松村潔ブログ: 20180926 エーテル界ではものの法則は使えない
タイトルとURLをコピーしました