最近私の中でヒットしている漫画は「凪のお暇」です。
西洋占星術風にいうなら「素晴らしきサターンリターン漫画」です。親から与えられた価値観をいったん壊し、自我を獲得することで精神的に自立していく過程ですね。
自己を見つめ、自分を再構築。サタリタ(アラサー)あるあるー。
ネガティブな感情だって、受け取ってあげようょ
凪のお暇は、随所にある節約ネタやレシピも楽しいです(*´﹃`*)
が、何よりガッツリ心をつかまれたのが「娘想いの母親の重さ」の描写。
故郷の母親からの電話が重くて取りたくなくて、逃げ続けていた主人公の凪。
でも、近所の人から「親子水入らずで話しなさい!」と電話がかかってくる事態になり、しょうがなく母親との通話をします…。
【画像】凪のお暇 3
うわー!あるあるある!母が重くてたまらない―墓守娘の嘆きみたいに共感するわー(ง°̀ロ°́)ง
伝家の宝刀「お母さんだけはあなたの味方!あなたを信じてる!」。
重いですねー。真綿で首を絞めるように優しい言葉で娘をゆるゆると支配する母。自分の権力性に無自覚という意味では、セクハラを恋愛と勘違いしてるオヤジと同じくらい残酷。
母親に対して色々思うところはある。だけど「私はこの人のこういうところが 」の次の言葉が出てこない。その感情の言語化ができない。
そんな凪ちゃんに、アパートの隣人・ゴンさんは言うのです。
【画像】凪のお暇 3
うわあー!スッキリー!!良かったねー!!!
心から祝福しちゃいたくなります(๑˃̵ᴗ˂̵)و
ダルちゃんでもそうだった。モラハラ男から軽く扱われた後のシーン。
【画像】「ダルちゃん」第11話
この「クソみたい」で「よくぞ言ってくれた!ダルちゃーん!!」とオバチャンはガッツポーズしましたよ。
ここで「大丈夫っ!感謝でポジティブ★いつも笑顔で許すことっ♪」なんてベッキーみたいなこと言ってたら、またクズ男に引っかかって不幸スパイラルにはまるのが目に見えてるもの(˚ ˃̣̣̥o˂̣̣̥ )
ちゃんと「クソ」って言ってくれて、本当によかった!
自分の感情がちゃんとキャッチアップできてる!
って本当にホッとしたんですよねー。
「ネガティブなことを考えるとネガティブなことが起きる!」という考えがありまず。が、そんでネガティブを自分の内側に閉じ込めて煮詰めたほうが、より強力ネガティブになって強力ネガティブを引き寄せて危険です。
多少のネガティブなんて当たり前でしょうがー!!人間は仏じゃないぞっ!!
小さなネガティブであるうちにちゃんと言語化して認識して抑圧しないで「そっかそっか、そう感じたんだね」って受け止めてあげるのが大事ですよ。それが愛だよー♥
少なくとも自分の中ではジャッジしない。世の中には受け入れてもらえないことだって、自分の中だけでは受け止めておく。
ここで誰かに「こう思ったの!私は正しいよね?大丈夫だよね?」って確認しようとすると、否定されてガックリ来るリスクがあるのでお勧めしませんよ。秘するが花。
あくまでも自分の中のみで、無条件に受け入れるのです。そうすることで、自分との信頼関係を作っていく。内なる声とのパイプを作っていく。
嫌いなものは嫌い!それが自分のためだとしたって嫌なもんは嫌!!
心に嘘をつくから、精神が歪んでしまう。そしてその精神の歪みは大人になって作った新しい関係に伝えられてしまう。
心に嘘をつかない。
嫌なもんは嫌なんだ!
お母さんのこと、大嫌い!!
神経症や精神病というのは自己欺瞞で起こるんです。たとえば、子どもの時に色々なつらい目に遭ったとします。親に愛されなかったとか。そのつらい目に遭った事実をそのまま認識すれば病気にはなりません。しかし、それを認識するのが苦痛だからと、親に愛されていなかったにもかかわらず、自分は愛されていたんだとか、いろいろ正当化して自己欺瞞するんです。(中略)自己欺瞞は、目先のその場では気休めになりますが、結果的には大きな傷跡を残します。
ものぐさ社会論―岸田秀対談集 P105~106
ちなみにこの岸田先生は、母親が自分に押し付けてきた「偽の愛情」に苦しめられ、強迫神経症になりました。そして大人になってから母親への憎しみを自覚し、強迫衝動から解放されたのです。
母親の位牌なんて、燃えるゴミの日にポイッ♪ 素晴らしいですねー!!
会社辞めて一年経つと、なんとなく嫌いだった人が心底嫌いだったとわかります。同じ建物に毎日入れられ長時間過ごすので、ハッキリ嫌いにならないように心がけていたのです。気がつきにくいですが、そのストレスは大変なものです。
— 田中 引用RTで話しかけてください 泰延 (@hironobutnk) 2018年2月3日
これは縁を切った親に対しても同じですネ。
わたしは自分の親と縁を切って後悔した日なんかありません。日がたつにつれ「わたし、本当にあの人たち(親)のこと苦手だったんだなあ」と思うばかりです。
親と上手くいかなくても、幸せになれるょ
母親が嫌われ者だとしたら、娘だって嫌われ者。
相手は鏡です。
私は小さなころ「お母さん、私のこと嫌いなんだろうなァ」と思っていました。だけど、岸田先生が言うように「子どもは親から愛されていないと思うと不安でたまらなくなる」ので、そんな気持ちを何とか感じないように、心から目を背けていました。
だけど、大人になった今冷静に「いやぁ、やっぱりお母さんは私のこと相当嫌いだったんだろうなー」と思うのです。
私たち母娘は根本的に、人間としての相性が悪かったんだろうな、と。
もちろん母親に嫌なところもありました。母親の不満なところなんて上げたらきりがないです。わかりやすく毒親と言ってもよいでしょう。
だけど、それ以上に私たちは人間としてウマが合わなかった。
だって今、母親タイプの人(わかりやすく例えるならVERY妻的女性)が目の前に現れても、私華麗にスルーしますもん。関わろうとは思わない。友達になんか絶対ならないし、距離を取って逃げる。
いっさい連絡取らない。近寄らない。君子危うきに近寄らず。
人間としてそもそも関わりたいとは思わない。
そして、それは多分あちら側からもそうだと思うのです。
なぜなら、母にとって私は「祖母を彷彿とさせる存在」であろうから。
母は祖母のことが嫌いでした。
表向きはニコニコヘコヘコして「いい娘」を演じているのですよ。実家へ帰省したときに祖母に対する態度なんて、実に孝行娘のお手本のようでした。
が、娘の私を殴るときには決まって「アンタなんて甘やかされてるんだ!私はおばあちゃんにもっとひどいことされて育てられたんだから、これくらいなんともないっ!」と言ってボコボコにしました。
祖母から母へ。母から娘へ。典型的な暴力の連鎖。
そして殴られた私はまた、妹を殴るわけです。
♪暴力は続くぅ~よ ど~ぉこまでも~♪
母は祖母に表向きは媚びへつらっていたのに、心の底では嫌っていたのです。自己欺瞞。
そんな母にとって私は「祖母を思わせる人間」だったと思うのです。
なぜなら祖母は「あの人は中身が男だ」「心臓に毛が生えている」といわれる超絶強メンタル。さすが本家の長男の嫁。
そして、私にもその気質があります。
私は一度腹くくったことは絶対に実行します。貫きます。
叩かれたって否定されたって決して負けません!
やるとなったら、やるのです。
Was mich nicht umbringt,macht mich staerker.
私を殺さないものは、私をいっそう強くする。
そんな私を見て、母は「随分と自分に自信があるのね」気に食わない様子でした。娘が自信満々に何かを成すことが、母には嫌なことだったのです。たぶん、それは祖母のようだったからでしょう。
根本的に、私は母にとって嫌悪の対象だったと思うのです。祖母を思わせる性質を受け継いでいたのですから。
だけどそれと同時に、優秀な子どもは依存の対象にもなる。だって、何のとりえもないツマンナイ主婦から「優秀な子を育てた素敵ママ」に大変身できるんだもの。一発大逆転☆
よって、私と母の関係は愛憎にみちあふれ、こんがらがったややこしいものになったのです。
嫌いなタイプの人間に依存しなきゃならないって、まあすごい地獄ですなあ。そして依存される方もまあ地獄ですわなあ。共依存は苦しいね……。
そんな親との依存関係も、スッパリ断ち切りました!
経済的に自立できるって、本当に素晴らしいことです。
自立って、いいね! 自立して生活できる今は、心から幸せです♥
働こう。自分でお金を稼げるようになれば、あんなつらい場所には戻らないで済む。もう二度と、あの場所には戻らない。そう心に決めていたからこそ、どんな時だって前を向くことができた。