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2018-01-27

2/16 新月の日に拡大意識とつながろう


2/16新月の日に瞑想会をします。

さあ、現実世界を変えていこう。でご紹介した「無限空間」の概念は、実に興味深くて面白いものです。

わたしたちが、今この三次元で存在している形で、別の次元につながって「肉体的にはいるんだけどつながってはいない状態」も作りだせるからです。「現実」への認知をガラッと変えることができます。すなわち、「世界(の見え方)が変わる」のです。

だから、使いようによっては非常に危険です。ハトホルも言ってるように「両刃の剣」です。グラウンディングが強い状態であらねばならない人(例:子育て中の母親、建設業で現場作業に当たっている人、危険を伴う機械の操作をする人)にはお勧めできないメソッドです。精神科にかかっている人には禁忌と言ってもよいでしょう。

だけど、スンゴイ面白いのです。「ほうほう、三次元の人は、そうなのであるなあ」と、自分は宙に浮いて、まるでこの世界を箱庭のように眺めているような気分にすらなります。だから、下手すると全然人と関われなくなります。そこが両刃の剣で危ないんですよね。

例えば、私は非常に「ありふれた普通の」集団の中にいる機会がありました。
ほんとうに、ふっつーの、どこにでもいそうなアラフォー男女の集団です。みんな普通の人です。悪人ではありません。
「いやァーお前ホント、バカ!」
「ひっどぉーい!」
「だってバカだろっ!?小学生からやり直したほうがいい!」
「ちがうもーん、歯磨き粉はこれがいいってきいたからー」
「じゃあ早く見せてみろよ!お前遅いんだって」
「だからー待ってー(スマホをいじる)」
「操作遅すぎ!だからバカだって言ってんだよ!ギャハハハハ!」

「俺さー、家に帰ってほとんど口きかないで寝るくらいの距離感がいいんだよね」
「えっ、それって一緒に住んでる意味あんの?」
「いや、だけどさー、奥さんいつもイライラしてるし子供寝てるし」
「そうなんだー。やっぱ寝に帰るかんじで?」
「そうそう。それでいいんだよ。子どもできるとやっぱそうなるでしょ」
「そういうもんなんだー」
「家族ってのは、そういうもんなんだよ。その距離感が俺にはいいの」(と言いつつスマホをいじり家に帰ろうとしない)

ふおおおおおおお。
し ゅ ご ー い☆
この世は……地獄です……。

ここでニコニコして空気を読んで話に入ったりしたら、凪のお暇みたいなサンドバックにされマウンティングを受けるのは目に見えています。


【画像】凪のお暇
凪のお暇(電子書籍)

10代の頃から学校生活で接してきたような「ごくありふれた日常」。
この中に入っていって、「周りに(波動を)合わせる」と、もんのすごい消耗します。どうでもいいコミュニケーションしかできない相手にイライラしちゃうし、そんな相手に合わせて場の空気を読んで笑顔を作る自分も好きになれないし。かといって、「ぼっち」でいるとまた「どしたの元気だしてこー!」とか変に絡まれたりしかねない。

ここで、「無限空間」発動ですよ!!
慣れて感覚つかんでると音声瞑想なしでも「あの感覚」につながれるのです。
広々とした感覚につながって、ふうっと周りを見ると、「違う現実」が見えるのです。

ものすごい孤独。
キャァキャァ騒いで笑顔で楽しそうにじゃれあって騒いでいる人たちの、ものすごい孤独。バカなことを言って神経を麻痺させていないと耐えられないくらいの人生の閉塞感。家族なんてそんなもんと言いつつATMにされている怒り(情けなさからの反転感情)。こんなはずじゃなかったという絶望。「そうなんだぁ」と聞きつつ「でもでもやっぱ結婚って素敵なものでしょ?そう言って!もう一度結婚さえすれば私にだって幸せをつかむチャンスがあるって言って!」とそれが幻想であると分かっているのにまだ夢にしがみつきたい。幻想に希望を持って現実を直視しないで逃避してないと、生きていけない!

全体的に、孤独・孤独・孤独。
それがフッと見えてきて「ああ、そうか。なるほどなあ」と。
だから異様に「楽しそう」に見せるんだ、と。自然に楽しいのではなく「楽しそうぶってる」から、息苦しいわけで。インスタとかフェイスブックとかと同じ空気。

そうやって無限空間につながりつつ三次元の現実を見ていると、「ほわっ」として「別に無理してリアクションする必要もないなあ」とただ眺めることが自然に感じられます。
周りに合わせない。馴染まない。だけど、拒否もしない。「ただ、ある」。

そうしていると、相手の波動で疲れることもなく、のまれることもない。
ただただ周りは「自分のしたいようにしている」だけだし、私も「自分のしたいようにしている」だけ。波動は調和しない(かみ合わない)けど、別に合わせようともしないからかみ合わないまま平行線で戦うこともない。

その地獄絵図みたいな空間が、ただただ静かな瞑想空間に早変わり。
相手の態度を変えようとしなくったって、自分が「そう」なればいつでも世界は穏やかになる。

で、そうやっていると不思議と絡まれないんです。無理に話しかけられたりもしないのです。ここで私も彼らと同じような「淋しさ」を持っていたならば、波長が合ってコミュニケーションがはじまったでしょう。でも、私は周りと話さずに一人いても全く淋しくなかったので、波長はかみ合わなかったのです。

そして、私は言いました。
「じゃあ、私そろそろ時間だから帰るね」
みんなは、「あっ、じゃあねー」「気を付けてー」と何事もなかったかのようにリアクションし、そしておのおののコミュニケーションに戻っていきました。

三次元に肉体的には存在しているのに、その世界を上から眺めているような状態でいる。そして、そこで起こっていることに巻き込まれない。感情的にも乱されない。大きな視点(究極の上から目線)で見ているから、小さな穴倉みたいな世界でセカセカしている狭量な相手に対する慈悲すら持てる。

実に面白い体験でした。
これ、会いたくない親族の集まりとかツマンナイ職場の飲み会とかでメッチャ使えるんじゃね?

ただ、やっぱりこのメソッドは危険をはらんでいて、離人症のように自分を麻痺させて現実と乖離しかねない可能性もあります。
この瞑想を試した友人が「これって死後の世界だよね。だからはじめはちょっと怖かった」と言いました。そう、そうなんです。このメソッドにより内側と外側の境界線は消える。すなわち「肉体の無い=肉体から離れた状態」を体験しているのです。
その状態に耽溺しすぎたり依存しちゃったりすると、肉体に入っていられなくなる。そうなると、希死念慮がわいてくるでしょう。実に劇薬ですなあ…。

このメソッドをツールとして使うなら、自分の感覚とはしっかりとつながったまま、グラウンディングが必要な(例えば、「もう帰る」と現実に対してアクションする)時にパッと切り替えられる器用さも必要になります。見ているモニタを瞬間でパッパッと切り替える、みたいな感じです。いつでもグラウンディングできるようにスタンバイはしておかねばならない。じゃないと物質的危険に自分を安易にさらすケースにだって陥りかねない。

トムが「万人向けではない」と言っている通りですが、使えるとまじ面白いツールだと思います。
まさに「二重現実」であり、今までと同じ現実は変わらずに流れていて、なのに知覚は全く違う(別の意味合いが課されている)から認知が変わるのです。

――瞑想会の詳細はこちらから
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