2018-01-02
母とは、等しく憎まれる存在である。
よくも産んだな。よくも私を産んだな。軽い気持ちで子供を地獄のような世界に産んで蔑ろにして、勝手に理不尽に耐えろと期待して。私は親の自己満足のための道具ではない。この悲しさはどうしたらいい。虚しい。
— 墓場の針鼠 (@hanamizukimimi) 2018年1月19日
出産の是非は出産する親ではなく、生まれた子が決する。
いくら当人が取繕っても無駄
私はブログで母への恨みつらみをネチネチネチネチと書き連ねています。そしてそれが共感を呼び、お金になっています。実にありがたいことです。学歴なんてあったところで金にはならんが、母への恨みは金になる。
母への恨みの気持ちというのは、多かれ少なかれ誰しもがもっているものです。「私は母には感謝の気持ちしかありません!」とニコニコしている人は、自分の気持ちから目を背けて抑圧しているだけです。1ミリもないなんてことはない。
母親だって完璧ではない、人間なんだから。
「母には感謝しかありません!」と本気で言う人は、母親を人間扱いしていない実に残酷な人です。母親(母性)を神格化・偶像化し、彼女の「あるがままの姿」を見ようとせず、また受け入れる気もないのですから。
そして、この「母への恨み」というのは実は育児中にあった数々のエピソードが愛が無くてうんぬんという視点と同時に、もっと根本的な動かしがたいものがあるのです。
それは「この世に受肉させられた恨み」です。
だって、肉体が無いとあんなに楽なのに!――つづきはこちらから
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