こんばんは、Nozomiです。寒いね。
図書館で借りた本に、夏目漱石の「こころ」の解釈が載っていて
それが面白かったので、めーちゃんにメールします。
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子どもというものは、母親を試すでしょう。
いろいろと悪いことをやって、どこまで母親が許すのか、ということをしばしばやります。(中略)愛する相手がどこまで許すのか、試しているのです。
漱石の描く恋愛小説には、その種のものが多いのです。
彼は基本的に男と女の愛を信じていないのだと思います。
「こころ」にしても「それから」にしても、好きな女性をいったん友達に譲る話です。
友達に紹介して、友達が彼女を好きになったり、妻にしたりした後で自分が奪う。
女性の価値というものを信じていなくて、自分以外の奴にも魅力ある女性なんだと証明されない限り、自分の所有物にする気にはならないのです。
母親幻想 改訂版 岸田秀
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なるほどー!と思ったんだよね。その視点は全くなかった。
つか、メンヘラ過ぎやろ漱石!!
でも、この説は納得がいく。
「俺のことなんか好きになる女なんて価値無いぜ」→友達といいかんじに→「あれっ、じゃあ価値あるじゃん俺いただくわ」
っていうのもアリですなあ。いやはや、文豪って実に最低ですなあー!
うん、ほんと寒いね。
メールありがとう。
うへえー!すげークズというか自分の意志がなさすぎ。
でも確かにそれなら納得がいく…。
私が更に不思議なのは、好きな異性を友達に譲ったり試したりして価値を確かめてから奪ったのに(ほかの人からみても魅力的な女を手に入れたオレ!的な確証を得たのに)、手に入れた妻からはどこまでも逃げ続けて、心を決して開いてないところ。
これをさー、女性側の視点でみてもどこまでも不毛だし、まったく落としどころがないね。
でもさ、こういう逃げ方をする人って、意外といるかもと思う。あきらかなメンへラじゃなくても。
闇が深いのだ。
【解説】「こころ」では、心を開いてくれない夫に対する妻の苦悩がつづられます。
「私は今まで何遍(なんべん)あの人に、どうぞ打ち明けて下さいって頼んで見たか分りゃしません」
「先生は何とおっしゃるんですか」
「何にもいう事はない、何にも心配する事はない、おれはこういう性質になったんだからというだけで、取り合ってくれないんです」
私は黙っていた。奥さんも言葉を途切らした。
(中略)
「私はとうとう辛防(しんぼう)し切れなくなって、先生に聞きました。私に悪い所があるなら遠慮なくいって下さい、改められる欠点なら改めるからって、すると先生は、お前に欠点なんかありゃしない、欠点はおれの方にあるだけだというんです。そういわれると、私悲しくなって仕様がないんです、涙が出てなおの事自分の悪い所が聞きたくなるんです」
奥さんは眼の中うちに涙をいっぱい溜めた。
おはよう。今日はお休みです。
この本の続きを読む予定。
こころの「先生」が漱石的メンヘラ繊細男だとしたら、生身の女と向き合えるはずもないと思う。
だって、私もめーちゃんも生身の女だからわかると思うけど、生身の女って怖いじゃん。強いじゃん。したたかじゃん。
悪いけど男なんかよりメッチャ強いで。繊細男の幻想なんて、あっという間に粉々にしてしまう。
だから、怖くて逃げまわるのでは。一線を引いて「コイツは女神」っていう幻想を持ってないと、怖くて一緒にいられない的な。
妻に女の現実を見せられた男は、必死で不倫相手を求める。夢見てられる幻想の女神様を。
だから既婚男の求愛はメチャクチャ強烈なわけで。ものすごい迷惑だ…
恐怖の根本は母親に支配された記憶なんじゃないかなと思うの。
母親がいなきゃ何もできない。母親のいうことを聞かねばならないという屈辱。自分の力では上手くできないという無力感及び劣等感。
世話焼きの女を嫌がる(くせに世話だけは焼かせる)回避型の男はこのあたり、こじらせてるんじゃないかなあ。
そうだねー、幻想ね。先生は「彼女には真っ白なままでいてほしいからこのこと(友人Kの自殺の原因)は決して話さないでほしい」と、主人公に手紙に書き残すからね。
自分がビビってるだけのくせに…。
生身の女の現実を知って、その幻想を上手く書き換えられればいいんだけど、その柔軟さを持つことは、とくに母親との確執を抱えている男には難しいことなのかもしれないね。
うん、ちょうど朝にこのやりとりのことを考えていて、「ああ、これはきっとお母さんとの関係が大きくかかわってるんだろうな」というところまでは思ってたんだけど、Nozomiさんからのメールではそのへんがさらに掘り下げてあって興味深かったよ。
……っていうことを自分の日常に落としこむとすれば、「自分の持ってる強さを相手にはなるべく向けない」ってことかな(笑)。相手には自分のタフさを見せていいし知られてもいいんだけど、相手に向けない限りは、ほどよくやっていけるかと(笑)。そうすればこちらも自分を隠したり演じたりする必要もないし。
でもさ、父親ってここまでの影響は与えられない気がするよね。娘の印象としては、「ほんとイヤだな。こういうタイプの人を相手に選ぶのはやめとこう」くらいのもんで。
そうなのそうなの。
この「母親幻想」って本で、そもそもなんで漱石が出てくるかというと
「表現活動をする人間は母親との関係に何らかの問題を抱えているのではないか」という仮説の検証で出てくるのよ。
「幻想を上手く書き換える」っていう適応力、すごく女性的な力だよね。
女性性のある男性ならできるだろうけど、オラオラ男性性の人は難しいだろうね。
「自分の持ってる強さを相手にはなるべく向けない」って、愛だよね。自制だもん。
私、昔ボクシングやってる自衛官と付き合ってたんだけどさ、いくらギャーギャー派手にケンカして言い合いしても、彼は絶対私に手を上げなかったのね。女相手だからではなく、「素人に手は出さない。本当に殺してしまうかもしれないから」って格闘技をやる人間の基本をきちんと守っている人だったんだよ。
若い頃は何も考えないでキーキー怒鳴ってたけど、今考えると彼は相当我慢してたんだなって、頭が下がる。一発殴れば簡単に吹っ飛ばせるのに、やらないんだもん。
自制は愛だね。伝家の宝刀を抜かないのは、愛。
男だろうと女だろうと、ありのままの自分をむきだしでぶつけてはいかんわ。気持ちを伝えたいなら、いったん整理してから出さんと…。
しかし、父親の影響力も、わりと大きくね?
私はなんだかんだで結局父親みたいな人ばっか好きになるよ。私の父親はコミュ障だけど真面目で稼げるし女をだますような手管もない安全なタイプなので、私は本当にそれで得をしていると思っている。女をだますような男にアンテナ立たないから。
えっ、そっか、愛か…。その発想はなかったけど、Nozomiさんの元カレさんの話がとってもわかりやすかった(目に見えやすい腕力だった)から腑に落ちた。
元カレさん、立派だね。暴力を振るうこともそうだし、きっと殴るぞと脅すこともなかったんだろうなと思い。
父親の影響を、私はまだ過小評価したいのかもしれないよ…。
私の場合はNozomiさんと逆で、父親(いわゆるモテ・甲斐性はあるが浮気性で子供っぽく下品)とは逆のタイプにひかれる(ちなみに妹のダンナさんも父親とは逆タイプ)。
影響という意味では同じだよね。
相手と一緒にいることを人生の目的にしてしまうと、その自制は難しくなるのかもと最近思う。人生のとなりにあるもの、くらいのポジションがちょうどいいんじゃないかと。
私もその本読んでみよ~。
真逆いくのも影響だっていうよね。
確かにうちのオカンは祖父のようなコミュ障の父と結婚したが、伯母は広告代理店勤務のイケメンなチャラ男と結婚したもんな……。
ちなみに私が最近「あっ、ちょうかっこいい♥」って思った男はこの人。
indeepの記事に出てたゲッチェ博士w
私的に超イケメン。やばい。超好き。ていうか私、中曽根康弘系の顔すごい好きなんだよ。これも絶対父親の影響だよ…ジャニーズ系のイケメンとか全然反応しねえもん。
「相手と一緒にいることを人生の目的にしてしまうと、その自制は難しくなる」
って、これまじそうだよね。
縁はつながるときはつながるし、切れるときは切れるんだから、無理につなごうとすると腐るもん。
形ばかりの愛が無い結婚生活が苦しくなっちゃうのはそこでしょ。
長く続くほど関係に価値が出るなんて、それこそ幻想だよね。
縁があるときにくっついて、そこからどれだけのものを味わえるかだと思う。
うおお、なんか見たことあると思ったらindeepに出てた人w
人と好みがかぶらないって素敵なことだよねw私もわりかしそうなのでw
幻想ね…ほんとじゃないから幻想になるんだよね。
つながるのも離れるのも、その瞬間を大事にすることだけだよね。「将来(未来)」という概念も、本当はないんじゃないかと思うことがあるよ。
「こころ」を読んだのはそもそも付き合ってる人から「とてもよい本だからよんだほうがいい」といわれて読んで、「どっこがよい本なんじゃいこの先生は弱虫の卑怯物だッ」と毒づいたことが始まりだったけど、こんなにいろいろと話が尽きなくさせてしまうってことはやはり良い本なんだね…。読ませますなあ、漱石さんよ。
「パワーを振りかざさない」という愛
メールのやり取りで「自制は愛だ」と言いました。
力があるのに、振りかざさないのは愛だと。
私の場合、人と接していて何より気をつけねばならぬのが「予言者にならないようにすること」です。
カンの鋭い人なら、多少のことが見渡せたりするでしょう。「あっ、この人こうなるな」とか「今回のプロジェクト、なんかよくわからないけどダメだろうな」とか。
私も、割とどうなるかわかるほうなんですよ。ぴんとくる。
だけど、それを安易に垂れ流してはいけない。
予言マシーンになってはいけない。
「こうやれば上手くいく」とわかっていて、相手がそういう方向に行っていないのを「イヤイヤ、こういう風にすればいいのに」と口を挟まないようにせねばならないのです。
相手が失敗するのがわかっていても、じいっと、そのまま見ていねばならぬのです。うっかり口を滑らせてはいけないのです。
いや、私だってイライラします。
「私のいうこと聞けば、上手くいくのにっ!!」って思ったりします。
でも、だめなんです。力を振りかざしてはだめなんです。
人は、自分の力で生きてこそ、最大限に学べるのだから。
失敗したとしても、自分でやるからこそ、身につくのだから。
及川眠子さんの結婚生活を綴った破婚: 18歳年下のトルコ人亭主と過ごした13年間。
及川さんは、非常に才能のある女性です。自分の力で大金を稼ぎ、自由に人生を謳歌できる人です。意志の力も、行動力もある。要するに、「こうしたら成功するよね」がわかっていて、すべきことをちゃんとできる人なんです。
だけど、年下夫は違った。
年下夫は、凡人だったんです。
凡人というのは「すべきことができない」「当たり前のことができない」普通の人です。
普通の人は、できないんですよ。
やればいいの分かってるのに、言い訳してやらない。
それが世の中の9割方の人間です。凡人というのはそういうものです。
だけど及川さんは、わかってる。
どうすれば上手くいくのかがわかってる。
だから、夫に成功してほしくてアドバイスする。援助もする。
それが凡人の夫には重くて、どんどん狂っていってしまう。
彼は、たぶん誰よりも感じていたことでしょう。及川さんの正しさを。物を見る目の確かさ、鋭さを。そして、何よりそれを感じ取れない自分を。自分は「言われなきゃわからない」、なんて惨めな凡夫。
及川さんが才能ある自分であるだけで、夫はどうしようもなく劣等感に追い詰められていくのです。妻の言うとおりにすれば、上手くいくって、心のどこかではわかってるだろうに。
及川さんの場合は夫婦でしたが、これは親子でも兄弟でも友達でも起こりうる現象です。
力がある人間が安易に使ってしまうと、他人を傷つけたり悪い方向に向かわせてしまうことがあるのです。何の悪気もないのに。むしろ善意だったりするのに。
力をつければつけるほど、自制する必要が出てくる。制御するだけの心の強さを同時に持たねばならなくなる。使っていい時と悪い時を、見極めねばならない。
じゃないと、アウトオブコントロールな原発みたいなことになりかねない。
腕力があるのに女を殴らぬ男は、本当に強い男です。
それと同じように、何か力を身に付けたら、律せねばならない。
だから、力を手に入れるのは、実にしんどくて大変なことなのです。