性と愛を一緒にしてしまったという弊害もあるかもしれない。そもそもこの二つはまるっきり別物で、性は植物的で、愛は動物的だ(多くの人は反対に考えているかもしれないが)。
二つを混同することで、すなわち感情センターが性センターの力を盗み出すことで、地球上では多くの不幸が生まれ、愛は汚されてしまう。
腐女子のみなさま、わたくし、大変なBLマンガを発掘してしまいましたわよ。
その名も、メルヘン課長とノンケ後輩くん。
無料でお読みいただける連載『メルヘン課長とノンケ後輩くん』は現在、1~3話と、番外編0話と、最新8話が公開されています!コミックス一巻共々宜しくお願いしまっす🍄
メルヘン課長とノンケ後輩くん|月刊COMICリュウ https://t.co/9qWbhor2PE— ミナモトカズキ@メルヘン課長1巻発売🍄 (@minamotokazuki) 2017年9月26日
ちなみに作者のミナモトカズキさんは、ガチのゲイでございます。ゲイ作家の描く男体は実に美しいですね。筋肉への愛にみなぎっておる。( ゚∀゚)o彡゜シックスパック!シックスパック!
このマンガのどこがスゴイかって、「恋愛感情とは一体どんなものか」を哲学しているところ。
受のオッサンは「どうせアンタ(攻)はノンケ(異性愛者)なんだから、そんなの恋じゃないのよ!」と拒み続けるのです。
ふわー!これって、ノンケ×ゲイだからこそ描ける話ですよね。
男女(もしくはゲイ同士)の恋愛だったら多分、そんな深く考えないもん。「トゥンク…あっ、私…好き♥」で終わる。3ページで終わる。
その感情は恋なのか?尊敬なのか?憧れなのか?はたまたただの性欲なのか?
ノンケとゲイだから、面倒くさいくらい突き詰めてグルグルするんです。だけど、これって実は男女にだってあることではないのか? みんな全然深く考えないだけで。
ちなみに作者のミナモトさん自身がどんな道を歩んできたかは少女漫画家のミナモトさんがカミングアウトします。にガッツリ書かれています。こちらはエッセイ用のシンプルな絵柄にしてあるので濃い内容だけど読みやすいです。
少女漫画家のミナモトさんがカミングアウトします。 (Next comics)
「好き」って気持ちは、恋愛だけじゃない。
友達にだってあるし、気が合うなら家族にだって同僚にだって、薄いつながりの知人にだってすらそれなりにある。
じゃあ、「恋になる好き」って何?
性欲を恋愛感情と勘違いしてるだけじゃないの?
ああ、面倒くさい!
こんな面倒くささ思春期で卒業しておくべきとはわかっていても、グサグサ刺さる。だから、この作品は特別なのです。
要するに、私は(たぶん多くのヘテロ女性も)深く考えてこなかったわけです。90~00年代の少女漫画は実に「性欲=愛情」「好きだから抱きたいんだ」文化にまみれていたし。
故・菜摘ひかるさんが「彼女や奥さんにできないことを(風俗嬢である自分には)していいよ」とえっち主義でマンガにしていました。
若かりし頃の私は「なぜそうやって色分けせねばならぬのだろう?」と疑問だったんです。「好きだから抱きたいんだ」文化に毒されすぎだったのですナ…。嗚呼、ロマンティック・ラブ・イデオロギィ!!
でも、オバサンになった今ならわかる。ポルノまがいのセックスを日常に持ち込まれては、長期的に安定した男女関係なぞ続けられぬ。
ジャンクなセックス、メンヘラのセックスは世間にいくらでもあって、ラブホテルは満室。だけど尊敬と愛情が含まれる人間対人間の関係は貴重品。
(中略)もし、男と女が本当に「一緒にいて楽しい」だとか、お互いの尊敬などという「良き感情」をもとに愛し合おうとすると、もうそこにポルノ的侮辱テイストのセックスを持ち込めなくなってしまっている(愛する人とあんな不潔なセックスは、できれば子作り以外はしたくない、という意を述べた若き社会学者もいる)。
つまり、私たち日本人の性文化は、人間的尊敬がそのまま性的リビドーにつながる快感回路をほとんど持ち合わせていないのだ。
多くの人間にとって、ハレとケは分けねばならぬ。昔は祭と盆踊りだけに許されていた無礼講のセックスを日常的なパートナーに求められてはたまったものではない。男としても日常を過ごす相手にそういった種類の激しい性欲を感じ続けるのは無理だろう。
結婚の「け」の字は、(ハレと)ケのけ。
生活とは、現実でございまする。甘い恋愛ではござらん。もちろんゼクシィのいう「恋して結婚しちゃえば人生勝ち組ッ!ハッピーウェディングでゴールイン★」なんてのも、ウソんこだ。
四十路越え!の湯山玲子さんは、こう言い切ります。
「恋愛と呼ばれているものの大いなる原動力ははっきりいって、性欲にあります」
【参考】40女の恋愛、その心構えとは [恋愛] All About
青木光恵さんのマンガ、スウィート・デリシャスでも指圧師・大原(ヤリチン)が「恋愛=友情+性欲」と言い切っておりました。
「恋愛≒性欲」もしくは「恋愛=性欲+友情」ならば、性欲が薄い人間にとって、恋愛という関係は実に難しい。
というか、そこまで相手に執着できない(スピリチュアル的には実に素晴らしい状態ですぞ)。
自分の内面に目を背けている(抑圧している)ところが少なくなればなるほどに、否応なく引き寄せられてしまうあの魔術のような濃密すぎる関係もなくなっていく。西洋占星学的に言うならば「自分の星を他人に託さず、自分で使えるようになる」。
そして、そもそもそういう関係も男女である必要はなく、同性相手(セックスのない関係)でも起こる。恋愛である必要は、全くない。セックスが介在する必要も、またない。
人生の中で恋愛が必要な時分は、確かにあるでしょう。
だけど、そういう時は本当に台風に遭うみたいに、勝手に巻き込まれるような引力でガーッとやってくる。努力したりしようとしてするもんじゃない。本当に勝手に起こる。事故みたいに。
ものごとがひとりでに起こっているのを目のあたりにするとき
その上どうしてあなたは自我をかき集めることなどできる?
高慢
自己
自己意志
すべて溶解する
そしたらあなたは何といってやることはない
あなたはただあなたの内奥無比の実存の内に坐し
そして、草はひとりでに生える— OSHO bot (@osho_bot_jp) 2017年10月2日
この「草はひとりでに生える」みたいに、勝手にやってくる。庭に勝手に生えてくる雑草を生やすことがそこまで人生に重要かと言ったらそんなことはない。恋愛もそのレベルで勝手に起こること。必要なら。
だから、恋愛は別に無理してまでする必要ない。友情で十分ですよ。
少なくとも、私にとって友情というのは至高の愛情表現です。男に対しても、女に対しても。
どこで間違えたんだろう・・・ pic.twitter.com/iTIHW9xRaT
— 魚類 (@AME_ZARI) 2017年7月4日
逆に考えるんだ
「友達としか見れないじゃなくて、友達で最高ランクなんだ」
と考えるんだ。
エマ・ワトソンは「あなたがモテなくてもあなたは私の友だちだ」と言っているわけで、「私ってイケてない非モテ男性がタイプで付き合いたくなっちゃうのよね~」と言ってるわけじゃないんですよ。ここがなぜか混同されてるのが今回の議論の核だと思う。https://t.co/DjqaT08sjD
— cdb (@C4Dbeginner) 2017年7月27日
それに対する答えは非常にシンプルで、エマ・ワトソンは「パートナーには社会的弱者を選びましょう」と言っているのではなく、「パートナーに選ばれなくても人間には価値があるのだ」という主張なので矛盾はしていない。https://t.co/yYlxU9oVab
— cdb (@C4Dbeginner) 2017年7月27日
「そんなに心配してくれたの?ぼくのこと」と、自分が特別な存在であるか否かを問うのび太に対し、しずかちゃんは「あたりまえでしょ、お友だちだもの」と「ちがう、あなたは特別ではない平凡な、決して死んではならない人間の1人だ」という普遍性について答える。その答えにのび太は深い安らぎを得る pic.twitter.com/BR1QerJMHr
— cdb (@C4Dbeginner) 2017年7月29日
というわけで、最初の時から書いているけども、のび太を助けるしずかちゃんの行動はフェミニズムと言うよりはヒューマニズムだよね。聖母ではなく正義で、「あなたを助ける」の正義はあるけど「あなたを愛します」の性愛はそこに含まれないという話。https://t.co/KgBGsvt2bI
— cdb (@C4Dbeginner) 2017年7月29日
のび太はしずかちゃんの中のフェミニズムではなくヒューマニズムに救われる。女性としてのしずかちゃんには「お友だちでいましょう」とフラれるけれども、人間としてのしずかちゃんには「お友だちでいましょう」と救済されるわけだ。それがこの物語。https://t.co/K4HgOlILGM
— cdb (@C4Dbeginner) 2017年7月29日
「恋愛しなきゃ価値がない」
「友達にしかみられないなんて自分には魅力が無いのだ」
そういうの、もうやめませんか? いいじゃないっすか、友達。最高じゃないっすか、友情。EジャンGジャン最高じゃん。
メルヘン課長とノンケ後輩くん(1)【電子限定特典ペーパー付き】 (RYU COMICS)
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