「家族という病・国という病」 下重暁子氏講演 文字起こし

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「家族という病」の著者、下重暁子さんの講演がすばらしかったので、書き起こしました。家族というものに悩む方、違和感のある方は、ぜひ見て下さい。
家族という病 (幻冬舎新書)

2015/10/8 山﨑博昭プロジェクト 第3回東京講演会「家族という病・国という病 講演と音楽の夕べ」


動画 5:24~
どうでしょうか。
自分の家族のこと知ってらっしゃいますか?
死んではじめて知りたいと思うっていうのが、本音ではないかと思うんですね。

わたくしは自分の話をちょっといたしますと、私の父親は言いたくない職業でして、陸軍の将校だったんですね。それももう幼年学校から、ずっとそこ行った人なんですけど。

ところが、実際には絵描きになりたかった。彼の部屋はずーっと死ぬまでアトリエでしたね。絵の本とか、画集とか、いろんな描きかけの油絵とか、油を描いてましたので。そういうものばかりで、絵を描いているときは多分一番幸せだったと思う。

あんなになりたかったのに、なんで軍人なんかになるんですか!
と思いません? 私は許せない!と思ったんですね、まずひとつ。そんなに嫌なら、もちろん長男で父親も軍人だったからというのもあるんですけれども、それにしても嫌なら家出すればいいじゃないですか!家出する勇気もなかったのか!という気が、私はするんですね。

それともう一つですね、どーうしても父親がわからないのは、戦争に負けたときにですね、毎日毎日八尾の飛行場の責任者をしていたものですから、私たちが疎開している信貴山という山の上へ帰ってきまして、なんだか大きなリュックサックしょってその中に山ほどなんか入ってるんですね。それを毎日毎日、外に出て焼いておりました。何日も続いても、いっぱいある!軍の機密書類ですよ。赤い罫が入っているのだけは、私はハッキリ覚えておりますけれども。それを焼いていたんですね。

毎日毎日その煙が立っていて、軍服の後姿がそこにあって、っていうのが忘れることはできない。
それで父親は「この戦争は間違いであった」とハッキリ言ったんですね。「二度とこういうことは――」っていう話をしたんですよ。

ところがですよ? 日本がまたドンドンドンドン、変わってきましたね。戦争――敗戦時には違ったことを言った人たちも、みーんな変わってきて、なんだか戦犯だった人も――うちの父親は戦犯ではありませんけれども、公職追放になっておりましたが――そういう人たちも、みーんな元に戻ってね、もう知ら~ん顔して。それが私は許せなくって。

父親がどうだったかって、あんなにハッキリ言っただろ!って、思うんですけれども。
その父親が、なぜだか、元へ戻っていくんですよ。それを毎日見ているのは、本当に辛くて。墜ちた偶像でした。私にとっては。
その父親ってのは、一体なんなの?何考えてたの?っての、今考えてもよくわかんないんですよね。

それから、母親という人は「暁子命」みたいな人だったんですね。
本当に私は溺愛されて育ったんですけれども、なんであんなに溺愛しなきゃいけなかったのかという気が、私にはいまだにしていて、よくわかりません。それから、「アンタの生き方は間違ってる!」っていって、毎度私は説教してたんですけれども、私(娘)しかないような人でしたね。なんでそんな生き方になったのか。

それから、兄が一人いるんですね。
この兄が、私と母親が違う兄なんですけれども、その兄が一体私のことをどう思っていたのか、と。育つときに、ちょうど兄が反抗期の頃ですね、考え方がどんどん変わっていく父親がやっぱり許せなかったんだと思うんです。あわやというくらい、そばに凶器があったら、あれは事件になってましたね。私が学校から帰ってきたら、なにやら音がするもので、座敷へそーっといって、男の喧嘩をみていましたね。ですから兄の気持ちは、よくわかるんですけれども。

動画 10:00~
その兄が、一体私のことをどう思ってたのか?っていうこととか。
なぁんにも家族のこと、知らないんですよ。
皆さん、ご自分の家族のこと、知ってらっしゃいますか?
よくお分かりですか?
「わからない」って人が、ほとんどだと思いますよね。今「わからない」って、そちらの方おっしゃってくださいましたけれども。

私は友達にきいてみましたよ。
そしたら、みんな「わかんない」っていうんですよ。「何考えてたか、わかってる?」っていったら。だれも知らないのね。よくそれで「家族だ」とか「わかりあってる」とか「信じあってる」とか、よく言えるねって思いません?

私はそれから、この本を書いてみようという気になったんです。
誰も知らないじゃないの? 自分の家族信じてたりね、「家族は一番美しい」って、どこが美しいんだって思うんですけれども。
そういう幻想でしょう? 幻想の中に生きてるだけですよ。

だから、現実はどうなのか?って。うちもおかしな家族でしたし。
私は大手前高校に行くようになってから、父親と口もきかなくなっちゃって。「許せない!」とずっと思ってたもんですから、うちを出まして。大手前高校の、すぐそばに下宿してた。高校時代から、うちを出ておりました。

そんなこと一度も言ったことないんです、私は。
それをはじめて赤裸々に書いたら、なぜか本が売れましてね(笑い)
不思議なもんですね。読んでくださる方ってのは、ちゃんと感じとってくださる。きれいごと書いても絶対売れませんね。
私本当にね、清水の舞台から飛び降りるようなつもりで今度ね、自分が裸になろうと思ったんです。

もう出るよって時になって、キューバへどうしても行きたかったので、一週間ほど行ったんですね。ちょうどキューバがアメリカと国交が始まる寸前、私が行くと決めた段階ではわかっていなかったんで、どうしても行こうと思ってたんです。もしアメリカと国交が回復したら、あっというまにマイアミとか目の前ですから、あっというまに違う国になっちゃうかもしれない。
あのけなげな人々がどうやって暮らしているのか、どうしてもこの目でみたいと思って、キューバへいきました。

本当にけなげな人たちが、楽しげに暮らしてまして。もちろん貧しいんだけれども、そんなことは問題じゃないんですね。医療費はタダだし、教育費もタダですし、病院と学校は実に立派で、子どもたちはとっても明るくてのびのびしていて。私はやっぱり、そこに何か希望みたいなものと、ゲバラやカストロが抱いた夢のようなものを感じましたね。人々が革命を支持したわけですから。
私はそれを見て「寸前だけれど間に合った」という気がして、良かったなと思って。

で、帰ってきたんです。帰ってきたら、あっという間に本が売れてましてね。本当にびっくりしました。私の本って、今までそんなに売れないんです。もちろん、ベストセラーになったのあったんですけど、ジワジワとしか売れない。あっという間にパッと売れたなんて、はじめてなんですよ。本人が一番びっくりしまして。

「なんで売れたんだろう?」と思って、よくよく考えてみたら、皆さんの中に「肩の荷が下りました」といってくださる方がたくさんいらっしゃる。「肩の荷が下りました」ってことは、よっぽど肩の荷が重かったんだな、ということですよね。それだけ家族は重かった。家族というものが足枷で、何も正直に言うことができなくて、「いい家族だ!」と人に見せなきゃいけなくて。どんだけしんどかっただろうな、っていう気がしたんです。それで読んでくだすったのかしら、と思って。やっぱり、本当に自分が思うことを書いてよかったな、という気がしているんですが。

それから、いろんな人たちに聞いてみましたよ。「自分の家族のことを知っているか」って言って。
介護をやっていて、家族のことには非常に詳しい私の良く知ってる友達がいまして。お母さんが100歳で八王子に住んでいるんですね。しょっちゅう見舞いに行ってるわけですよ。頭はまだハッキリなさってるので、いろいろ話ができるそうですけど。
そのお母さんが、お年を召していますから、淡白な白身のお魚とかそういうのが好きだろうと彼女はずっと思ってまして、ずーっと淡白なお魚を持って行っていた。そしたら、あるときお母さんが「自分はこんなものは好きじゃない」っていうんですって。何が好きかっていったら、鰻だとかね、肉だとかね、そういうものが好きだっていうんですって。「そんなことさえ知らなかった」っていうんですよ、彼女は。一緒に暮らしてたのにね。

「いったい私たちはなんにも知らないよね」って。考えかたとかそんなことじゃなくって、日常生活のことすら知らない。知らないのに、知ってると思ってる。なんででしょうか?
それはやっぱり「知ってる顔をしないと、まずいから」なんですね。いい家庭だということを見せたい。「いい家庭」って何ですかね? 私にはよくわかりませんけれども。

ともかく自分の家族ってことを考えてみて、全然知らないんだけれども、知ってるふりをする。それから、「いい家族なんだよ!」と見せる、ということ。
それと、なんとなく知ってるような気がしてるんですよね。知らないんだけど、現実には。一番親しいような気がして、お互いに全て許し合ってるような気がしてる。真綿にくるまれたようなかんじで、なーんにも知らなくてほんわかした。

テレビで家族って出てくると、なんで食べる場面ばっかりなんですかね?
なんでだか知らないけど、食事の場面ばっかり。あれが家族団らんらしいですよね。
今家族団らんって、ご飯食べるところで一番いいところに座ってるの誰だかご存知ですか?
テレビです(笑い)
テレビが一番いい場所へ座ってまして、全員でテレビ見ながら食べてるわけ。何が家族団らんですか、それが。なんの話もしてないのよね。それでわかるわけがないでしょ、って私は思いますね。

それで、家族という幻想「家族というものは一番いいものだ!」って幻想を抱いているということ。その幻想をテレビドラマの上で打ち破ったのが、山田太一さんという人。岸辺のアルバムという名作を作りました。
これは母親は不倫してるわね、子どもは怪しいことをやってるわね、父親はもっと変だとかですね、そういう家族が何の関係もないような暮らし方してるのに、家族写真だけ撮るんですよ。ちゃんと、一年に一回ね。それが多摩川の増水で流れてしまいました時に、みんなで家族写真だけを必死で探すっていうね。皮肉なドラマでございましたね。
家族写真の中にしか家族の団らんというか、幻想はないのではないか、という非常に面白いドラマでしたけれども。

家族というものに、皆さんなぜ疑問を抱かない? 「抱いちゃいけない」というふうに思っていらっしゃる。
よく私は現場人間ですから取材に行きますと、いろんなところで家族の問題なんかをきいてみます。例えば、殺人事件がありますね。殺人事件って減ってるんですって、どんどんどん。いいことですよね。ところが、一番殺人事件で増えつづけているのは家族だそうです。それも、親子。つい最近は、孫がお祖父さんとお祖母さんを殺すっていうのがありましたよね。18歳くらいの孫がね。ついに孫まで来たか、って感じもしますけれども。
この子は介護までしてたっていうんですけどね。本当に家族っていうのは、一体どうなってるのかなっていう気がする。それが「なぜわからないのか」って私は考えているんです。なぜ知ろうとしないのか?

それで、私がたどりついたのは「個として見ていない」んですね。個人として見ていない。家族は「家族」って団体さんなんですね。
個人、ひとりひとり、双子だってぜーんぶ違うじゃないですか。性格も違えば、すべて違うはずなのに。なんか一つの家族になると、その家族っていうのは団体さんになってしまって、他のものをよけてしまう。自分たちだけが美しい、自分たちだけがいい、とかですね。そういう風になっていって、個を見ていないんですね。個を見ていないから、その人の考え方なんか関係ないわけですよね。

動画 20:00~
他人のほうが良く知ってますよ、われわれは。だって、他人だとお友だちだとか何とか理解しようとするじゃないですか。一生懸命理解しようと思ったら一生懸命話してわかろうとしますからね。少しはわかってくる。
ところが、なんかわかった気になってるわけですよ、家族っていうものは。
「もう最初からわかってるよ。んなモンきく必要ない」っていうことですから、いつまで経ってもわからない。っていう風になって、「家族」っていう何やらわけのわからない団体さんになってしまうということですね。
これがものすごい悪を及ぼしてますね。

私、よくいろんなところに行くので飛行機乗ることも多いんですけど、ある時飛行機に乗ってまして、おじいさんが乗ってらしたんですね。
私ももうそろそろおばあさんなんですけど、そういういい方は嫌なのでやめます。私は下重暁子という「個」ですからね。そういう団体で呼ばれたくはありません。人のことも絶対呼ばないようにしておりますが、ちょっと名前がわからないからおじいさんといわせていただきますけれども。

乗ってきたんですね。はじめて多分飛行機に乗るんだろうなっていうの、見ててわかるんですよ。うれしそうでしてね。窓際の席一生懸命とったんでしょうね。それでもううれしそーぅに外を見てる。早く飛び立たないかなーと思ってる。それが後ろから見てて、そのうれしさが伝わってくるんですよ。「あーそうか、早く飛び立ってね、飛行機から見れればいいな」って思ってました。

そしたら、ガヤガヤっと家族連れが乗ってきたんですね。お母さんと子供、お父さんはいなかったと思いますけど。その子供が二人くらいいましたけど、一番小さい子が「ねえねえお母さん、窓際いかせて」っていうんですよ。「なんで窓見られないの?」っていうんですよ。
隣におじいさんいるんですよ? いるのに、聞こえよがしに言うんですよ。そしたらお母さんがまたですね、たしなめるところか「そうよねぇ、小さい子だから外見たいわよねぇ。なんでかわってくれないのかしらね」って。

冗談じゃないでしょう! 本当に腹が立って私は!
よっぽど怒鳴りつけてやろうかと思いましたよね。でも、さすがに私もそれだけの勇気はなくて言えなかったんですけど。そんなことばっかりずっと言ってるんですもの。しょうがないからおじいさん代わりましたよ。かわいそうに。見てみぬふりはできないくらいでしたね。

そういうような「家族エゴ」ってのは、いっぱいある!
電車の中でもいっぱいありますよ。家族だけ!「あ、空いたわよ、ここ座んなさい」とかいってね。そういうことばっかやってる。
いつまで経ったら、「一人ひとり」という感じになるのかなと思ってみてますけれど。

それでもっと具合が悪いのが、家族の中で期待しあうんですね。お互いに。「いい学校に入ってほしい」とか。
私は「連れ合い」としか呼ばないんです。絶対に「主人」なんて呼んだことは一度もありません。ところが私は「連れ合い」としか絶対言わないのに、時々インタビューなんか受けたらわざわざ「主人」に変わってることがあるんですよ、ゲラがくるとね。何考えてるんだよこの人私はわざわざ「連れ合い」って言ってるのに。
うちの暮らし方が連れ合いだから「連れ合いだ」って言ってるんでね。連れ合いとしか言わない。同等に暮らしておりますのでね。それぞれが個を認めて、それぞれの良さを認めて暮らしているつもりですから。

それなのにね、みんな「なんで主人っていわないんですか?」
「なんで主人なんですか?」って、こっちが聞きたくなりますよね。別にどっちが主な人でもなんでもないわけじゃないですか。それなのに、何かそういう世間の常識っていうものに、みんなが合わせているんですね。
それでどうなるかというと、本当にお互いが期待しあって。よくはないんですけれども。

私の友達で、大手前高校の同級生ですよ。女ですよ。東京に住んでる人がですね、もう一人の同級生がアメリカから帰ってくるっていうのでね。で、「三人で会いましょうね」っていって。近くなったら電話がかかってきて、「行けないの」って。「どうして? せっかく帰ってくるのよ」っていったら、「孫のお受験だから」っていうんですよ。
私「ハァ?」開いた口が塞がりませんでしたね。なんですか、孫のお受験って。どこをお受けになるのか知りませんけど、孫のお受験でなんでおばあちゃんが忙しいんですか? 忙しいわけないじゃない。親ならまだね、小さい子ならね、面接があったりするかもしれないけど。そんなね、祖父母に関係ない話でしょう。静かにして勉強してもらうためには、いないほうがよっぽどいいですよね。そう思うんだけどね、「行けない」っていうんですよ。「孫がお受験だから」不思議ですねぇ。
そんなことされたら、お受験した孫は、本当に負担だと思いますよ。入学しようとしまいとね、そういう負担をお互いにかけている家族って、なんでしょうね? 相手に期待する、人に期待するんですよ。他人と思えばいいんですね。他人に期待するのと一緒ですよ、それは。

私は絶対に、家族だろうとなんだろうと、人に期待しません。私が期待するのは、たった一人、自分だけです。これは私が、敗戦の時に決めたんですね。敗戦の時に、うちはもうめちゃくちゃになりまして。食うに食えないような状態になって、いろんな方に助けていただいたりもしたんですけれど。
その時に私は、周りの大人たちがいかに豹変するかを見てしまったので、「自分は絶対にそうにはならない!」と決めたのです。小学校三年生ですから、そんなはっきりと意識したかはわからないけれど、端緒はそこにあるんですね。

要するに、私は一生自分で食べていく。誰にも食べさせてはもらわない。
私は、自分ひとりですよ、人を食べさすのは大変ですからね、そんなことはできませんけど、自分ひとりは自分で食べていく。経済的な自立と、自分で決めて、自分で考えて、自分で選んでいく。精神的な自立と呼べるでしょうか。この二つは絶対手放さない。この二つがない限り、自由というものは選べない、ということがわかったんですね。私はこれをずっと持ち続けるぞって決めたんです、小学校の三年生の時に。それでずーっと守ってきまして、今もそのまんま。うちは「連れ合い」と呼んでいますが、私は養ってもらったことは一度もありません。うちを買うなんて時は半々ずつ出しているだけの話で、その時お金があるのが半分出して、あとは月賦で払ってとかですね。全然それを不思議と思わないし、それでいいじゃない、っていう暮らし方をしておりますので。私は養ってもらったことは一度もないです。

もうじき先が見えていますのでね、あと何年かでこの世からおさらばするかもしれない。という日にちが近づいておりますので、そうそうたくさんはない。たぶん最後まで、一人で自分を食べさすことができるかもって最近、思いはじめました。本が売れたおかげなんです。売れなかったらこんなこと偉そうに言えなかったかもしれないんですけれども。なんとか自分が思っていることを成就できるのではないかと。

自分に期待しますとね、やらないのは自分ですからね。責任は自分にあるわけで、全部自分にのしかかってくるわけで、反省するのは自分でしかないわけでしょう?
他人に期待するとしんどいですよ! 「誕生日覚えててくれない」だとか、「結婚記念日覚えててくれない」たって、覚えてないんだからしょうがないじゃないですか! うちだってそんなもんいつだか全然知りませんよね。なんか知らないけど、知らない日に荷物もってウチ来ちゃったってことしかわからない。いつからいるのかも、ハッキリよくわからないんですよ。ですから、そんなことどんな意味があるんだって、私たちは思ってるので。

だけど、そういう方々多いんですね。なーんか、世間のしきたりにキッチリはまらないといけない。そういう人は「家族っていうのは役割だ」って思ってらっしゃるんですね。個じゃないんですよ。役割なの。おばあちゃん、おじいちゃん、おかあさん、おとうさん、こども、っていう役割。役割を演じてるだけですね。だから個としてわかるわけがないじゃない。個として興味持たないんだもの。

だから、個として興味を持たない限り、個として認めない限り、家族っていうのはわかりあうことはできませんね。役割をはたしていれば、それで「家族は上手くいっている」と思っている家族がほとんどですよ。と、私は思います。私のうちも多分そうだったという気がしますね。

動画 30:00~
それで、子どもが成長するってのは一体どういうことかって考えてみると、子どもが成長するっていうのは、親を乗り越えていくことですね。大人を乗り越えていくことを「成長する」っていうと思うんですよ。まず一番先に、目障りというか目の上のたんこぶというか、権威として現れるのは親ですよね。最初の権威は親ですよ。その次学校行くと先生っていうのがあるし、まあお勤めでもしちゃうと上司ってのもあるかもしれませんけれども、まず最初の権威は親ですよ。

自分の最初にぶちあたる権威と戦わないってほうがおかしいですよね。気にならないほうがおかしい。反抗期のない子が最近多いってのは、こんな気持ちの悪いことは私はないなっていう気がするんですね。だって、親と考え方も違うし乗り越えていく時代も違うし、違うはずでしょう? それなのに同じってのが、不思議ですよねぇ。なにか、「いうこときいてイイコであるっていうのが良い」とされてますね。

「イイコ」なんてろくな子じゃないですよね、と私は思ってます。
親から「イイコ」、大人から「イイコ」と呼ばれる子に、ロクな子はいませんね。ロクな子になりません。

私自分のことをいうのもなんですけど、大手前高校の時たった一人違う制服を着て通ってたんですよ。大手前の制服って、ダサくてダサくて!もうとってもやだったの!
私おしゃれでしたのでね、自己表現の手段ですから、おしゃれもね。おしゃれってのは、一番最初に身につく自己表現の手段のひとつですよ。そこへ自分を表したいのに、こんなダサイもの着て三年間過ごせるか!って思ったんですよ。セーラー服みたいの作って着てったんですよね、自分でデザインして。

そしたら先生にすぐさま呼び出されて怒られましたよね。「何とかしろ」っていうんですよ。
「何とかしろったってねえ、私はこれはいやなんですよ。こんなものを着て過ごす気はない!」
「でも何とかしろ」
まあ、ちょっと考えたらセーラー服は全然違った。「じゃあ何とかします」って言いまして。それで、私は何とかしたんです。どうしたかっていうと、みんなはシングルだったんだけど、私だけダブルにしましてね。それで、スカートのひだは一つしかなかったのを、私はスカートのひだをたくさんにしました。「これは絶対三年間変えません!」っていって、先生に宣言しました。

良い先生でしたね、その頃の先生は。私はそのために追放されることはありませんでした。「変な子だな」と思ったでしょうけれど、大事にこう包含してくださいましたね。本当に感謝しています。
非行っていいますけど、なぜ非行に走るか、非行に走るのは排除するからですよ。こうやって(両手で抱きしめるように包み込むしぐさ)「ちょっと変わった子だ」って思っても、そうやってもらえれば、子どもっていうのは本当に幸せに個性を伸ばすことができるんですね。

私の同級生に金髪の子がいました。女の子ですよ。ビールで染めてるっていいました。今みたいに染料がないのでね。ビールでどうしても染めたかったって。目立つからね、また叱られたけど、その子は私より強固に三年間それで通しましたね。それで卒業してなんになったかっていうと、布買って布の花を自分で色を染めてね、それで布科の先生、ニューヨーク行って展覧会するとかね。結構いいセンスでしたね、私が見た限りでは。という人になったんですね。
「ああ、彼女はあの時、金髪を染めて、ああビールで染めるとこういう色になるなって研究してたんだ」っていうことがわかって。私と彼女が一番変わってたと思うんですが、それを全然排除されなかったというのが幸せだったな、いい学校だったな、ってつくづく思います。

ともかく、子どもが成長する段階では必ず権威と衝突するのが当たり前の話で、無い方が不思議ですね。その中で理解し合っていこうと思ったら、やっぱりケンカしたっていいじゃないか。ちょっと殺し合いまでなるのは具合が悪いですけれども、寸前までいってもしょうがないよね、って私は思います。それくらいの想像力は持つべきだと、思うんですね。
私はうちがそうでしたから、全然不思議に思わないし、そういうことは想像できる。ああいう殺人事件が起きても、「ああ、そうか、起きるべくして起きただろうなあ。理由があるな」っていうのが、ちゃんと想像できますしね。

でも、想像できない人たちが実に多くてね。取材になんか行きますとね、色んなことを言われますね。ご近所の方にきいたりますよね。マイク向けたりすると、なんていうか。
「こんな静かな、こんないい住宅街で、こんな殺人事件が起きるなんて、信じられませんわ!」
って、奥様がおっしゃるのね。もう、本当に「想像したこともないのォ?」ってききたくなりますよね、私はね。「そんなに、このへんは素晴らしいところなの? お宅も同じように素晴らしいご家庭なの?」ってききたくなってしまいますよね。「いったい、どういう家族関係なの?」って聞きたくなってしまう。というふうに、私は思っています。

ですから、いろんな犯罪が起きますね。
一番家族で最近流行っておりますのが、オレオレ詐欺ってのあるでしょ。あれは欧米ではありえないそうですよ。個が非常にはっきりしてて、個を大切にする社会ですからね。だから、振り込め詐欺とか言いますね、電話かかってくるとビックリしてね。自分の子どもとか孫とか亭主がね、やったってことだと。その人に確かめもしないっていうのは、どうかしてるんじゃないかなと私は思いますね。確かめもしないで自分のことのように、おろおろとしてね。それで、お金を振り込む。それが何千万と振り込む人がいるっていうから、よっくどこにそんなお金があるの?って。みんなお金持ちなのね、って感心したくなりますよね。あれは不思議ですよね。本当に精密になってきて、いろんな方法を向こう側は金儲けですから考えているらしくて。

ある時、うちにかかってきたんですよ! こーれは面白かったですねぇ!
なんて言ったかって、「ご主人が、電車の中で、痴漢をしました」っていうんですね。それで「自分はたまたま乗り合わせていた弁護士だけれど、今駅長室に留め置かれている。自分が何とかしますから、それでお金を」っていうことなんでしょう。ちょうどね、その頃テレビ局の人間だったのが辞めまして、大学へ教えに行ったり遠くまで通ってたもんですから、長いこと電車に乗っていることは事実なんですね。
私はそこまできいて、すぐさまきいたんですね。
「背高いですか?低いですか? 髪の毛は黒いですか?長いですか?短いですか?」って、どんどん!インタビューしたの。「ガチャン!」って切りましたね(笑い)そりゃそうですよ、一言も答えらんないんだもん。ね。どうしてみんなきかないのか、不思議ですねぇ。一言ききゃすぐわかるのにね。散々いびってやりましたら、向こうも辟易して切りましたけどね!
だから、やっぱり個っていうのを確立していたら、ああいう犯罪は起きれないんですね。それが全然減ってないっていうのが、これまた実に、不思議なことですよねぇ。増えてるっていうんですね。

だから、いったい家族っていうのはどうなっている、戦後憲法で個というものを認めるということになってきて、それからだいぶ変わったとは思います。変わったとは思いますけれども、311があったでしょ。あそこからまたおかしくなってきたという言い方変なんですけれども、あそこから何やら「家族っていうのが、やたらに大切である!」ってふうになっちゃったんですね。理由が分かって大切ならいいんですけど、理由がわからなくて大切であるってなっちゃって。

あれからですよ。「絆」っていう言葉大嫌いです、私は。私、大昔インタビュー行った時にね、谷垣さんて自民党の今幹事長ですね、あの人のところに自転車の話でききに行ったんです。そしたらね、絆って言葉をお使いになって。その時は非常に目新しくてね。
動画 40:00~
いい言葉じゃないなと思ったんです。ところがもう311以来、絆絆絆って。「絆じゃなければどうかしてる」みたいなね。私はほんとに「そんなものいらない」って思うくらい、嫌ですね。

知らない人同士の絆はいいんです。日本人は自分たちだけですよ。外国の人はわりと宗教とかいろんな考え方もあって、割合ボランティアっていうのは他の人にね、一生懸命やる。日本人は知ってる人には親切。知らない人にはものすごい不親切ですね。典型的ですよね。

ニュースだってそうですよね。思いません? ニュースで事故があって日本人は含まれていないと「日本人は含まれていませんでした」。それからものすごい小さい扱いになって、誰も言わなくなっちゃう。ニュースでもなんでもそうですよ。私なんども放送局で、そういったことあるんですけど、いつまで経ってもそうですね。あれ、外国であんなこと言ってるって、あんまりないと思うんですよ。本当に厭らしいって気がしてしょうがないんですね。なんか、そういうところがありますよねえ。

それで「知っている人とか家族とか、そういうものだけ大事にしていく」という風になってきますと、「いい家族」っていうのを目標にして「いいお父さんお母さん子ども」っていう役割を演じていると、誰が一番喜ぶと思いますか?

国が一番喜ぶわけですよね。
国が「いい家族」――通称ですよ。私はいいと思ってないんですけど――いい家族があることを望んでいるわけですから。要するに、家族っていうのがまとまっていてくれて、疑いを持たず、お互いに信じあっててくれるような家族だと、一番管理しやすいわけですね。管理しやすいものが国にとってありがたいわけですから、管理しやすいのを大事にしたいと思ってる。
口に出さなくても、みんな今の政府だって全部そう思ってますね。戦時中なんて、みんな私たちは被害を受けたわけですけれども。

いみじくも、ついこないだ、官房長官が口を滑らしましたね。私見てて「ヘェツ!?」って驚いちゃってね。「何言ってんのォ!?」と思いましたけれども。見てた方、知ってる方も、たくさんいらっしゃいますと思いますけれども。
福山雅治さんが、結婚したと。その感想を聞かれた時に、「ああいう人たちが結婚してくれると、他の女の人たちもたくさん子供を産みたくなるだろうから、国は安泰です!」みたいな。ちょっと言葉は違うかもしれませんよ? みたいなことを言ったんですよ。

「はっはぁー!これが本音だなあ!」と思いましたよね。「なるほど、戦時中の『産めよ増やせよ』と同じこと言ってるよなあ」って、思いました。
結局、国というのは「管理しやすい家族」っていうのが欲しいんですね。だから今、そういうふうにしようと一生懸命努力してますよね。

私たちは「個」であって、国に管理されやすい「家族」であってはいけないんですよね。
ということを、ハッキリ私は言わなければいけない。表現しなければならない。表現の自由は、私たちみんな持ってるわけですから。「自分たちは国の言いなりにはならないよ!」っていうことを言わなきゃいけない。

安保法制の反対の時に、私もずいぶんあそこ行きました。こっそりと。そうしましたら、本当にみんな一人で来てらっしゃるのね。あれはもう、すごくうれしかったですね。若い人も、お年寄りも、子どもだっこしたお母さんなんかも、みんな一人で来てる。誰かに指図されてきてるんじゃなくてね。こういうふうになってきてるのは、まだまだ捨てたもんじゃないし、「いやあ、いいことだなぁー!」と思いながら、私は見ていました。

それにひきかえ、今だに家族を管理したいと思っている国というのは、一体なんなんでしょうかね?
個というものを一体どういうふうに考えているんでしょうかね?
というふうに、私はつくづく思います。それをきちんと言っていかなければならない。

そして今、国際情勢も非常に悪いですけれども。いろんな事件がいっぱい起きてますけれども。
私はエジプトに半年住んでたことがあって、ベイルートとエジプトにだいぶ長くいたことがあるんですね。アラブもよく知ってるんですよ。
アラブというのは、イスラム国というのは、元々宗教は兄弟宗教ですからね。キリスト教と兄弟なんですね、イスラム教っていうのは。おんなじ荒地から出てきて、おんなじ風に育ってきた、兄弟宗教だったんですよ。

親しさがあると、愛しさ余って憎さ百倍かなんか知りませんけど、家族でもそういうとこありますけど、近しいものほど近親憎悪ってのがあるっていいますけど。本当に憎み合ってるっていうところがありますが。
事実は私が実際に住んでみて、いろいろ宗教、イスラム教もちょっとだけ勉強しましたので、わかったんですけど。全然、思われているようなことではないんですね。あんまりしゃべってると長くなりますので、それについてはこのへんでやめますけど。
それが、あんなに憎み合わなければいけない。なんでお互い違いを認める――要するに個を認めるっていうことですよね――お互い違うのは当たり前、一人ひとりも違うんだから、それがいっぱいいる国なんてのは、みんな違うのが当たり前でしょう?

それだのに「なぜ違いを認めないで、みんな力のある国は自分に従わせようとする、おんなじように従うんだ」っていうのが、私には不思議で不思議でしょうがなくて、わかりません。
そして、それは何度戦争があって悲惨な目に遭っても、変わらないんですね。いまだにね。みんな頭ではわかってるし、口では言ってるんだけど。結局、相変わらずどこかで戦火は交えているということは、ずーっと続いていて。
これから先、日本も巻き込まれないとは言えない状況になってしまったということは、なんともはや悔しくて仕方がないという気はしますけれど。これから一つ一つ、やっぱり私にもできることをやっていかなきゃいけないと思っているんですが。

家族にちょっと話を戻しますと。
私たち家族っていうのを選んで生まれてこない、こられないんですよね。「私ここのうちがいいから、ここのうちに生まれたいわ」って言って、生まれるわけにいかないんですよね。生まれてみてはじめて「ああ、こんな父親でこういう母親でこういう兄で、こういううちに生まれちゃったんだ!」っていうしかない。結果論でしかないわけでしょう? 自分の意思で生まれられないわけですよね。

そうすると、それからしばらく親と一緒にいますね。私は大体、6~7歳くらいまでそこに育つというか、そこに生まれたならば、その環境でしつけであるとか、人間としての基本的なことを学ぶっていうことはあるだろう。そういうふうに社会はなってますので、そういうところで学んでいくっていうことはある。

それから学校へ行きはじめる。学校なんてまあ行かなくても行ってもいいんですけれど、でも学校に行きはじめる。学校でたくさんの人たちと知り合って、先生から色んなことを教わる。

大体18歳で、成人ですよね。こないだ選挙権が18になりましたけれど。18歳くらいになると大人に近いということは言えると思いますけれども。
江戸時代なんか、元服なんていうのは色々あって13だったり15だったりして、もっともっと早かったんですけど。だから、けっこう早くてもおかしくはないと思うんですけれど。

動物だって、みいんなもう、自分でエサとれるようになったら放りだしますよね。なんで人間は放りださないんでしょうねえ? 私、不思議でしょうがないんですよ。あれ、放りだしたほうがいいですよ。放りだしてくれなかったんで、私は自分で出てっちゃったんですね。

私の家族は、あまり表面的に上手くいっていないというか、人にはわかんなかったでしょうけれど。そういううちでしたから、それは逆説的に言えば、とてもいい家族だったなあと思うんですね。あのおかげで、私は今のように「ちゃんと自分で生きていくぞ!」っていう覚悟ができたんだと思うんです。
本当にいい家族に育っちゃったなって、今は逆に感謝するぐらいになってますから。

動画 50:00~
でも、18くらいになったら、みんな出てかなきゃいけない。
私の友達もついこないだ「やっと放りだしました」って。その人は定年になってね、大学院に勤めてた女の人なんですけど、親一人子一人で母親が育ててたんですけれど。男の子を育ててたのが、いつまで経っても出ていかなくて、どうしようもないエリートだったんですね。それを放りだして自分は京都へ行ってしまった。東京にいたらね、必ず来るから、しょうがないからもう京都に行っちゃった。
そしたら、一人で暮らし始めて、ちゃんとアパート借りて暮らしてる、と。

「放りだせばいいんですよ!」と、思いますね。
生物だってそうなのに、人間だけいつまでもくっついてて家族だのなんだのって。本当に心が通じてりゃいいですよ。血がつながってるだけの話だけですよね。

家族っていうのは、心が通じてる人のことじゃないんですかね。血なんかつながってなんかいなくていいと思うんですね。
だから今いろんな家族の形が模索されてます。血がつながってない家族で、気が合った同士で暮らすだとかですね。いろんな模索がされている。

18くらいでもう社会に還元すればいいんですね。
最初は選ぶことができないので、ある家庭に育つという環境になるわけですけど。そこからしばらくの間は、育てるとして、ある年齢になったらもう還元すればいい、社会に。社会に還元すれば、もう個として生きていくしかないわけですよね。
そうすれば、一人ひとりは、自分で生きていくようになるんじゃないかっていうふうに思って。

私はそういう社会的な観点から家族を見るということが、日本では実に欠けているなという気がしますね。社会的に見て、家族っていうものはどういうものか。変えなければいけないのではないか。何か自分たちでできることは、しなければいけないのではないか。

「家族だから!」っていうんで、美しいだのなんだの言って、甘えてる場合じゃないよね、って。
そんなことしてると、また、官房長官の話のようにですよ?とんでもないところに連れて行かれるんじゃないかなという気が、私はしてならないのです。

というところで、時間が参りましたので終わらせていただきます。どうも失礼いたしました。

【動画元】下重暁子氏講演「家族という病・国という病」 – YouTube

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