何か大きな事をしなくてはならないと思い込むのは地獄の入り口。後先考えられぬ者ほど、極端な一発逆転を狙う。素寒貧になった博打狂いみたいなヤツはいつだってそうだ。そして、その手段で上手くいくと思い込む。手段が目的となるのだ。そうして容易く食い物にされる。いいカモだ。
— 峨骨 (@Chimaera925) 2017年10月24日
ハーイ、グローバル化の波に疲れてる皆さん、お元気ですかー☆
何でもスケールメリットとか言い出す悪徳コンサルに搾取されてますかー☆
「大きいことはいいことだ!」って、いまだに信じてますかー☆彡
私は実際「小さいスケール」に収めておくことの幸福を、かみしめることが多いです。小さいことはいいことだ!
例えば、小さなコミュニティで内輪ウケで皆がニコニコ楽しんでいた作品が、うっかりなんかの隙にバズっちゃって、案の定クソリプつきまくりで作者の方が病んじゃってアカウント消去でいなくなっちゃうことがあります。
そんなのを見ていると、本当にスケールが小さいって幸せだと思います。スケールが大きいのは、きつい。だって、万人に認めてもらえる人間などいないのだもの。
ビジネスを大きくしないほうが幸せな理由
香港の下町的な甘味屋さん(日本でいうなら、あんみつ屋みたいな感じか)が、うっかりミシュランに載っちゃって観光客ドワーッてきて大迷惑しているそうです。
家族でちまちま小さくやってる安くてウマイ地元で愛される店だったのに。観光客がキャッキャ自撮りしてたら、雰囲気も台無しです。
何十年も続くオヤジのやってる渋いもんじゃ屋に、金持ちの中国人がなだれ込んできて行列作らんと食えんくなったら、グルメガイドを恨むだろ。それと同じだよ。国が違っても同じ。
しかも、行列しまくりの店を見た家主が家賃釣りあげてきて、さあ大変。
採算が取れなくて、店を引っ越すことになって踏んだり蹴ったり。
ここでネオリベのみなさんは「それほど売れるというならば、もっと作ればいいじゃないか!手間を省き機械化してビジネスの規模を拡大しよう!!」とおっしゃることでしょう。でも、店主はこういいます。
“It’s food for your heart. Why is it so good? It’s because we do everything ourselves. Now people ask us, ‘Do you want to go to Taiwan, do you want to go to China? Do you want to open more shops, a franchise?’ I say no. This bowl of food that I make and bring out to you, with my own hands ….” He shakes his head. “It wouldn’t be the same.”
「心を込めてるんですよ。どうして美味しいかって? そりゃ全部が手作りだから。今じゃ『台湾で出店しませんか?中国で出店しませんか?もっとお店を増やしたくないですか?支店は?』って聞いてくる人がいます。自分は結構です、って言ってます。自分の手で作ってお客さんに出す一品だからこそ……同じになんか作れないでしょう」と彼は頭をふった。
素晴らしい……。心が洗われますね。
「できるだけ自分でやる」というのは、本当に大切なことです。なぜなら、全工程を知っていると、大きな視点でバランスが取れるからです。部分部分の工程しか知らないと、大きな視点では判断できない。精神世界本が言うところの「全体性」です。
自分の手でやって初めて分かること
自分の手でお菓子を作ってみると、砂糖の多さにギョッとします。油の多さにギョッとします。スナック菓子一袋なんて平気でバクバク食べちゃったら、どんだけ体に油を入れているのかが実感できます。
でも、当たり前だけど、自分で作らないとわかんないんです。「コンビニで買う→袋をあける→食う」という工程しか通ってないと、その食べ物に関することはほとんどわからない。
自分で作物を育ててみると、市場に出ている野菜の立派なことに驚きます。そんなきれいで大きい作物を育てるためには、どれだけ肥料をやってどれだけ農薬をやらなきゃならないか、見当がつきます。「まとも」に作ってみようとしたら、見てくれが良くなくなることも。見てくれがいいものなんて、ほんの一部であることを。
これも、全工程を自分でやってみて、はじめてわかることです。
全工程を自分でやると、あんまり大きく展開はできません。ちまっとなります。工程を細切れにして各々が専門でやる方が効率は圧倒的にいいです。かつての日本が「稼ぎ手としての夫と専業主婦の妻」という分業化ユニットで経済効率を上げていたように。
だけど、専門しか知らないと、ヤバイのです。近視眼的になって「それやっちゃアカン」を平気でやるようになってしまいます。
例えば、今田舎でガツガツ増えてるメガソーラー。どんだけの森林破壊をすれば気が済むんだという話です。森をつぶしたら、土砂崩れが起きる。水不足になる。そういうリスクを見ないで、ただ金になるから土地を明け渡してしまう。
【参考】高知県土佐清水市緑が丘のメガソーラーの為に削られた山から泥が海に流出。大岐の浜にも建設計画。 – ブログ「風の谷」
【参考】日本列島は台風の通り道。自然災害は想定しなければならない国なのに、国中にメガソーラーがある異常事態。 – ブログ「風の谷」
山に再エネ発電所の急増(風力、メガソーラー)
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動物たちが山を降りてくる
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人間とのトラブル(農作物被害、襲われる)
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有害鳥獣認定
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ハンター増やし、動物を駆除という名目で殺す
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ジビエを国策化、国民(給食も含む)に食べさせる⇒イマココ pic.twitter.com/SE7t5clSUy— 北風ロビン(慌てると転ぶ ので注意) (@oldblue2012) 2016年10月25日
西日本各地で大雨が続いている。自然エネルギーという看板で、山の中などを造成してソーラー発電所をつくり、水脈をぶった切っているのでどこから泥水が吹き出してもおかしくはない。大雨が降れば土砂崩れは起こるが、再エネはそのリスクを高めているhttps://t.co/DSqY5WEdZH
— 北風ロビン(慌てると転ぶ ので注意) (@oldblue2012) 2017年7月5日
組織の部品でいてはいけない理由
全体性を持って物事に当たらないと、ちぐはぐな行動を取ってしまう、大局的には非効率にすらなりかねません。
アニメ・Yuri!!! on ice原案の久保ミツロウ氏は以下のように発言しています。
私は企業側の人間ではないので皆さんの意見を聞いて向こうに伝えてもただの原案者一人の希望としかカウントされず、需要とはみなされません…ご要望は公式アカウントかテレビ局にお願いします…!
— 久保ミツロウ (@kubo_3260) 2016年12月1日
漫画家に「アニメ化したら○○の声優は××さんにして!」みたいに直で要望をいう方は昔から絶えないようです。でも、「そんなこと言われたって…」なんですよね。大抵の場合、権限がないから。御伽ねこむ?知らない子ですね。
「組織で動く(モノを作る)ということはどういうことか」をつかんでいないと、効率的に動けません。自分の意見を効果的に伝えないと、反映してもらえる可能性も低くなります。原作者のツイッターに直でリプライしてもしょうもないのです。
末端で自分の専門作業しかやってないと、当然ですがこういうこともなかなかわかりにくいでしょう。組織というのはどういう風に動いているのかを全体的に知っておいて損はありません。実際に組織のマネジメントをやれというわけではなく、疑似でいいので。
例えば、リメイク版日本のいちばん長い日。
この映画の中で、玉音放送の原稿を練る会議があります。
それが、もう、もう「ザ・日本の組織」でありまして!!!
「あ゛ー!!コレ!コレ!超くっだらないことでどうでもいいことでガーガー難癖つけてどうでもいい思惑で足引っ張りあって、コレ!コレ!」と私はもうガックリ来ました。70年前からちっとも変わってないってなら、ホント絶望ですね★
「どういうタイミングでどういう情報を出して良くて、こういう段階ではどういう根回しがされていて、この人が動いたならば数日後くらいにはこういうことが起きるだろう」みたいなのが、あるんですよ。組織って。これを知っていると、国会を見る目もガラッと変わります。
まあ良いか悪いかは置いといて、本当にそういう風に下らなく動いているのだという全体像を知っておかないと、組織に効率的に自分の意見を伝えることはできません。部分ではなく、全体を見なければならないのです。
全体性が大切なのです。
そして、全体性を保つには、小さな規模でやることです。
それなら自分一人でも、かなりの範囲がカバーできるから。
自分が全体の決定をするなどという責任を負わないこと
いいや
そういう決定者の役まわりからおりなさい
あなたは決定者なんかじゃない
あたたはただ
自分に与えられた小さな持ち場で自分の生を生きればいいのだ— OSHO bot (@osho_bot_jp) 2017年7月21日
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スモール・ビジネスこそが幸せだ
私は仕事の手を広げず、ちみちみと地味にやっていきます。
スモールビジネスのほうが、幸せなのです。