「どうしたらいいかわからない」
「何をしたいかわからない」
セッションでこうおっしゃるお客様が意外と多くいらっしゃるようです。
「意外と」と書いたのは、正直私にはその気持ちがわからないからです。
自分のやりたいことがわからないというのは、ちょっと理解ができません。
私にとって「したいこと」はいつもシンプルです。基本、悩まないです。ゆえに、「どうしたらいいかわからない」というのは、純粋に理解できないのです。
では、私の場合なぜ「やりたいこと」がシンプルに横たわっているのか。
それは、「人生とはそれほど長いものではない」と感じているからです。
意外と死は簡単に訪れると思っているからです。
メメント・モリ(memento mori)は、ラテン語で「死を想え」。自分がいつかは必ず死ぬことを忘れるなという意味の言葉です。歌や映画などで見ますよね。
私はいつ死んでも後悔しないように生きているのです。極端な話、明日死ぬとしたら今何がしたいか、それしか時間が無いとしたらどうするか考えて動いているのです。
だから「何がしたいかわからない」「どうしたらいいかわからない」という人は、自分があと余命1年だと仮定してみればいいのではないでしょうか。
そうしたら、本当にやりたいことがシンプルに見えてくるはずです。
私がなぜ「いつ死んでもいいように」なんて、ある意味極端なことを思って生きているのか。その原因となったであろう経験を以下に書きます。
私の20代は、人の死に彩られていました。
ビックリするくらい、あっけなく元気だったはずの人がパタパタと死んでいきました。
若いんですよ。だいたい30~50代です。
でも、健康診断で少しひっかかって、「ちょっと入院するね」って言って、半年後にはお葬式なんです。
いくら従業員数が多いところに勤めていたからって、そんなこと早々ないはずですよね。でも、自分が直接仕事で顔を合わせていた人が、ポクリポクリと死んで行きました。
恋人が親を亡くしたこともありました。
私のことを妹みたいにかわいがってくれた大学の先輩も、30そこそこの若さで事故死しました。
「えっ。人って、死ぬんだ」って。
人ってこんなに簡単にいなくなっちゃうんだ、って。
あまりにも簡単にあっけなく死んじゃうから、今だにひょっこり出てきて再会できそうな気がするくらい、現実味がない。でも、死んでるんです。もう、ここにはいないんです。少なくとも、肉体をまとった形では。
私は今アラフォーですが、「人生折り返し」だなんて全く思ってません。「あと10年生きれば万々歳」くらいに思っています。人生五十年、信長上等です。
いつ死んでも困らないように、遺言状も作成してあります。
人生がまだ30年も40年もあると思うから、なんだかボンヤリしてしまうのではないですか?
今というこの瞬間を、無駄にしていいのですか?
あなたが明日も生きている確率は、実は100%じゃないんですよ。そして、周りの人も同様に。
そう思う時、「やらなきゃ後悔すること」が自然と見えてくるのではないですか?
もちろん空想ごっこで構わないし、仮定で構いません。「あと1年しか生きられないとしたら」と考えてみてください。そうすれば、思考の余分な贅肉が落とされます。「すべきこと」が見えます。無駄なことにエネルギーを浪費せず、本当にしたいことに注ぐことができます。
人は死ぬときは本当に簡単に死にます。
やり残しのないよう、悔いのないよう生きてください。
そんなに人生は長くはないかもしれないのです。