埼玉県 H様より頂いたメールをご紹介いたします。 一部個人情報など具体的な事柄は伏せております。
Nozomi様
埼玉のHです。
ひさびさにブログを拝読してびっくりいたしました。
■Nozomi注■
リピータールームのブログに書いていたことに関するので、まずどんなことを書いていたのかご紹介しておきます。
以下赤文字、リピータールームブログより引用です。
人のために書く、自分のために書く
リンデンバウムに関する文章は、すべて上の人の指示で書いています。
だから、正直個人的には「書きたくないなあ」と思うことも書いています。
だって、「そこまで言わなくていいじゃん。キツ過ぎない?」って思ったりするんです。
でも上の人がそうしろと言うから、そうします。
私はブログの記事1本を、大体10~15分くらいで書きます。
そういうと驚かれますが、内容を考えているわけじゃないんですよ。
私はあくまでも「降ろしているだけ」なのですよ。
文字起こししている感覚です。
ハートを開いて、ハートに従えをお寄せいただいた、埼玉県のお客様H様は、自分を癒すために文章を書いていたという事実をセッションで伝えられます。
昔の私も実にこのパターンで、BLマンガやBL小説を書くことによって、自分を癒していたといえます。
そのころは、まさしく「自分のために書いていた」のです。
確かにサイトに公開したり、同人誌を発行していたりしたのですが、正直感想や反応は二の次。
とにかく、自分が書いたものをなめまわすように何度も何度も何度も読んでいました。
そして、心揺さぶられていました。(言い換えると、無意識のうちに癒されていました)
とにかく、自分のために書いていたのです。
自己治癒のための創作だったのです。
だから「書き上げるまで」が一番情熱がわいて、書いた後の他者の反応はわりとどうでもよかったのです。
とにかく書くこと、そして書き上げた後自分で読み返すのに夢中でした。
だけど、今は違う。
今は、上の人が必要だと判断したことを、ただ降ろして文章化するだけです。
そうすると、面白いことに読み返さないんです。
私のためじゃなくて、ここを見ているあなたのための文章だから。
大して読みたいと思わないのです。
この差は、実に興味深いです。
あんなに自分の創作に執着していた私だったのに。
やっぱりこれは上の人の文章なのだなあと、しみじみ思う次第です。
(だから、読む側のシンクロすごいんだろうし)
以上、ご紹介でした。H様のメールに戻ります。
「人のために書く、自分のために書く」にお書きになっていることは、
私にもぴったり当てはまっています。
趣味で書いていた小説はかなりの頻度で読み返しておりましたが、
それに比べて仕事で書いた論文はあまり読み返しません。
活字になったときに、校正が反映されているか、誤字脱字がないかを
一度チェックしておしまいです。
(当然ですが)周囲の反応や評価はすごく気になりますし、
好評でも不評でも寄せられた反応は、自分なりに分析して
今後の研究に生かしています。
振り返ってみると、やっぱり小説は自分の癒しのために書いていたのだと
非常に納得いたしました。
2月のセッション以降、研究とそれに伴う論文の執筆は非常に好調です。
それだけにとどまらす、少しずつではありますが小説も書き始めました。
これは推定ですが、どちらを書くときも私は比較的自分を無にして
文章に入り込むように集中します。
しっかり癒しに取り組んでいなかったため、「無」になったときに
抑圧していた感情が吹き出してきてしまって、書くことに集中できなかったようです。
なぜか無性にやりたくなって始めたビーズクラフトをしていて
このことに気づきました。
無心になると感情が湧き上がってきたのですが、それを正面から
受け止め続けることで次第に苦しさが和らいでいったのです。
以前ブログかメルマガで、感情から逃げたり感情を否定したりせず、
しっかり受け止めることでその感情は消えていくとお書きになっていたと記憶しています。
そのアドバイスもたいへん助けになりました。あらためてお礼を申し上げます。
やりたいことを我慢することも、やりたくないことを我慢してやることも、
度が過ぎるとダメなんですね。
感情や意欲は一見くだらないことでも、みんな意味があるんだと実感しました。
お陰様で自分が知らず知らず設定していた自分の限界を、現在突破しつつあります。
新しい研究仲間にも恵まれ、かつて中途半端にしてしまった研究領域にも再度着手しました。
過去にも未来にも、自分が置かれた状況にもとらわれずに、
「やろう、やりたい」と思うことを無心にやっていきます。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
実は今、仕事の研修中で、携帯からメールを送っています。
ひとまわり以上若い子たちと過ごしているとたくさんの気づきがあり、
かつての自分の至らなさも、他人から受けたひどい仕打ちも、
不思議とみんな許せるように思えてきました。
若い人から学ぶことって本当に多いし、そう思う自分は年をとったなと
あらためて年月の経過を実感しています。
それでは、GWのセッションで実際にお会いできることを楽しみにしております。