積み重ねることの大切さ

凡庸なる現実の価値


どんな楽しいこと、刺激的なこと、ワクワクすることでも、それを3年も続ければ大抵「ルーティンワーク」になります。
新鮮味が薄れ、慣れて「当たり前のこと」になります。

そうすると、なんとなく面白みに欠けるし、積極的に取り組もうという意欲もわかなくなるし「不満もないけど満足もしていない」宙ぶらりんな状態に陥ります。
「なんか楽しいことないかな」なんて言葉が、うっかりツルッと唇からもれたりします。

これは日本という国に限定したら、かなりの割合の人が体験していることです。
視点を変えると「それだけ大切なことだから、たくさんの人が経験している」とも言えます。

「もっとなんかこう、映画やドラマみたいなことが起きないの!?」
「素晴らしい出会いがあって人生変わっちゃうとか!」
「実は自分が救世主で、ある日いきなり組織からお迎えが来るとか!」
なんて、非現実的なことを夢見つつ、凡庸な現実を過ごしている人間が多いのです。

しかし、あえて言いますと、そんな非現実な空想よりも「今過ごしている凡庸なる現実」のほうが、圧倒的に価値のあるものなのです。

「刺激が無くて、慣れきってしまっているつまらない日常」は、実はダイヤモンドのような気づきの宝庫。
ただそれは「原石」として転がっているので、ちゃんとダイヤであることを見抜く力を磨かないと気がつけない。

輝ける人、輝けない人


多くの人が「自分にはそんなに才能もないし、大したことがない人間だ」と思っています。
ですが、才能は誰にでも与えられているのです。
それを発掘するのは、自分の仕事。
「自分に才能が無い」と思うなら、自分の才能を発掘することを怠っている証拠です。

そして、やっかいなことに才能は発掘して見つけただけじゃ役に立ちません。
発掘した段階では「原石」なのです。そこから磨かねば、どんな才能だって光り輝くことはありません。
世の中のたいていの人が「自分には才能もないし、たいしたこともできない」と思っているのは、自分がどんな才能に恵まれているかおぼろげにわかっていたとしたって、その才能を磨かず、輝かせることをせず放置しているからです。

才能を磨くには、時間の積み重ね、非常に地味な繰り返しを行うことが求められます。
天才と言われる素晴らしい才能の持ち主が、影でどれだけ地味で膨大な努力の積み重ねを行っているかを、私たちはしばしばインタビューや書籍で知ることができます。

地味で時には無意味と思ってしまうほどの、結果がすぐに出ないような暗いトンネルをくぐり抜けてこそ、才能は輝くのです。

日常の、いかに地味な積み重ねを、大切にするかしないか。それがどれほどの価値があるかを、自覚するかしないか。
輝ける人と、輝けない人の差は、そこです。
さらに言及しますと、幸せになれる人と、幸せになれない人の差も、そこにあります。

地道な積み重ねこそが、実を結ぶ


今私たちが生きている日本では、大抵の人がものすごく長い時間を生きます。
だから、積み重ねによって、才能を磨くチャンスがほとんどの人にあるのです。
乳幼児死亡率の高い環境では、こうは行きません。「10年後には」なんて、考えられない現実があるからです。

長い時間を与えられているのは、積み重ねができると言うこと。
「時間を積み重ねなくてはできないことを、その中でしなさい」という課題を持っているとも、言い換えられます。

継続は力なり。
もちろん続けても意味が無いと思うことは、スッパリやめるのも大切です。
でも、投げ出してばかりいても、一つもものにはなりません。

意味があるかどうかは分からなくても(日常の地味な積み重ねの段階では、大抵意味など見出せません)続けてみれば、ある日それがダイヤモンドであったことに気づくでしょう。
「継続するにはあまりにストレスがかかって、生命の存続が危ぶまれる」なんてものはやめたほうがいいですが、そうではないものは、続けてみると意外な輝きを放ち始めるかもしれませんよ。

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