好かれるも嫌われるも、同じこと。

よく「人から好かれたいけど、嫌われたくない」という意見を聞きます。
三次元的に見ると、確かにそういう風に思えるのかもしれません。
でも、二元性を取っ払って高次の感覚でスピリチュアルに解釈するならこうなります。

「好かれること」は「嫌われること」。
「嫌われること」は「好かれること」。

好かれることだって、時に苦痛になる

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「好かれること」がいいことで「嫌われること」が悪いことというのは、非常に三次元的な限定的解釈になります。

嫌われたっていいじゃないで書いたとおり、嫌われることが平気になったら生きるのが楽になる人は、この世の中メチャクチャいるでしょう。
しかしながら逆に、好かれることが平気になったら、言い換えると「好かれても別にどうでもいいや。勝手にして」と思えれば楽になれる人だっているんです。

人に好かれるということは、ある種の人間にとっては非常な苦痛です。
「えっ、そんな人いるのお!?」と驚かれるかもしれませんね。
でも、あなただってそういう要素が多かれ少なかれあると思いますよ?

  • 「Aさんって本当に素晴らしいわ!こんなことできる人なかなかいないわよ!」と大したこともしてないのに、手放しでいつも褒められる。
  • 「Bちゃんは僕の天使だ!」と言われ、尽くされまくり、セックスもしなくても一緒に居てくれるだけで満足だと言われ、何も求めてこない。
  • 「○○君はもう俺の娘のようなモンだ」と上司に言われ、ブランド服や高価なアクセサリーをプレゼントされる。(しかも下心はないらしい)

↑こんなことになったら、居心地悪いでしょう。
「な、何でそんなに私のこと好きなの? イヤ、私、そこまで素晴らしい人間じゃないんですけど…」って引きますよね。
人って、好かれるのも意外と苦痛なんですよ。

ハリウッド女優のシャーリー・マクレーンはカミーノ ― 魂の旅路で「何でみんな私に対してこんなに好意的なのだろう」と戸惑う様子を書いています。
「好意的=なれなれしい」ということです。

そういう人は自分の本を読んでいて、自分のファンで、自分をとても好いている。
そして、自分のことを無二の親友のように思っていて、そう接してくる。
でも、シャーリーにとってその人は「赤の他人」であって、「何でこんなに馴れ馴れしくしてくるの!?」という違和感しかない。

ここで「自分を好いてくれる人に対して、なんて冷たい人なんでしょう!」と思うなら、あなたは間違いなく「人の気持ちのわからない、なれなれしい人」です。
シャーリーにだってプライベートがあり個人の領域があり、特に繊細な感性を持ち合わせる芸術家である彼女にとって、そういうものは大切です。
そこを「好きだから」という理由だけで土足でどんどん踏み入っていいとはならないでしょう。

好かれているからって、全部受け入れられるというわけじゃない。
好かれているからこそ、強烈に「イヤなことはイヤ」と言わなきゃならない。
それは、嫌われている人に言うよりも多分何倍もキツイことでしょう。

人間関係は、好かれりゃ快適になるってモンじゃない。
自分が苦手な人に好かれたら、どうやって距離を取ればいいのか非常に苦慮します。
「いっそ嫌ってくれたらいいのに! イヤお願い、嫌って!」って思うでしょう。

好かれることだって、大変なのです。

好かれようと嫌われようと幸せでいるために

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人から好かれるにしても嫌われるにしても「自分が快適」であるためには、きちんと他者との境界を引かねばなりません。
「ここから入ってこられたらイヤだ」と明示しなければなりません。
それが非常識だったり普通じゃなくても、特に親しい人に対しては明示しなくてはなりません。

例えば、私はマンガが大好きです。
マンガを読んでいるときに邪魔をされることは、私にとって非常に不快なことです。
だから、本屋でBLマンガ見てニヤニヤしているときに「Nozomiさんですかっ!?」とか声をかけられても、まず無視します。マンガ読んでるのに邪魔されるのはイヤだからです。

「はぁ!?なんて大人気ない! 誰のおかげで生活できていると思っているの!?」
というご意見は至極最もです。正論です。
私もお客様のおかげで日々の糧をいただけて、非常に感謝しています。
しかしながら「これは譲れない」というラインは譲らない。そこを譲ってしまっては、自分の人生が楽しくならない。

例えていえば、
「誰のおかげで飯が食えてると思ってるんだ!」
という亭主は、確かに正しいことを言っているのかもしれません。
でも、金を稼いでくるからって何を言ってもいいわけじゃないし、やってもいいわけじゃないですよね。
例え自分が一銭も稼いでいない専業主婦であったとしたって「私はこれをされたらイヤです」ということは主張してしかるべきです。

もちろんそれで生活に支障が出るとか、誰かの人生に大きな支障が出るとかなら困ります。
でも、本屋で立ち読みしてるときくらい放っておいてくれ、声かけてきても無視するよ、くらいのことで、私のセッションのクオリティには影響しません。
むしろ「そこまでのサービスを要求されたって、私にはできませんよ」なんです。

私にとってマンガを読んでいるときに無理やり中断されて、挨拶をしなければならないということは非常に不快で、それでもしなきゃならないなら、それは「サービス」なんです。
それくらいマンガを読んでいるときに邪魔をされることは、私にとってはイヤなんです。
「もし私のことを好いて愛してくれるなら、漫画読んでいるときは絶対放っておいてくれ」という話なんです。

ここまで読んでくださった方は、理解していただけたと思います。
好かれることだって、大変なんです。メンドクサイんです。
嫌われることが悪じゃない。好かれることが善じゃない。どっちも似たようなモンなんです。

だから、人から好かれようと無理に努力するのはもうやめましょう。
ありのままの自分でいいじゃない。
人から好かれてようが嫌われてようが、「ありのままの自分で、自分らしい人生を生きていること」のほうがよっぽど大切です。

2013年03月17日 | Posted in 読むヒーリング スピリチュアルブログ | タグ: , Comments Closed 

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