日本語は、神を語る言葉である

過去世の教訓

私は言語オタクで、色々な言語が好きです。
リンデンバウムにいろんな外国語のサイトがあるのも、基本的には、趣味です
楽しくてやってます。

類は友を呼ぶ。
私の外国のオタク友達もなぜか、言語好きが多いんです。(ヘタリア好きって言語好き多い?)
自然と「ヘブライ語における母音はどうして省略されるのか」だの「ポーランド語はロシア語よりチェコ語に近い」だの、知っていたところで多分一生何の役にも立たないようなマニアックな会話がなされます。

そうしていろんな言語に触れていくと、日本語がいかに特殊な言語であるのかが浮き彫りになってくるのです。

日本語は、めちゃくちゃ特殊です。
ぶっちゃけ、こんなに難しい言語はなかなか無いです。
日本人って、本当に頭がいいと思います。こんな言語使って毎日生活してるだなんて!!

日本人は英語(外国語)が下手だとかいいますが、当然です。
要するに言葉というものが「日本語」というメチャクチャ特殊な言語が基準となって考えるように脳が作られていますから、英語とか中国語とか単純で簡単な言語の仕組み自体がピンと来ないのです。

それは、「中学数学の因数分解を、大学レベルの微分積分を使って解かなくては解答できない」と思い込んでいるようなもの。
英語も中国語も、文法に限っていえば恐ろしくシンプルで簡単です。
英語が国際言語になるはずです。誰だって使いやすいもの。
(中国語は文法がシンプルでも漢字が難しいので、英語に代わる国際言語にはなかなかならないと思います)

南米で広く使われているスペイン語も、ヨーロッパ言語の中ではかなり簡単で扱いやすいほうです。
移民が多くて色々な人が入り乱れる土地ほど、言語はシンプルで習得しやすいものになる傾向があると思います。

実際に、スペイン本国のスペイン語と、南米のスペイン語では南米スペイン語のほうが文法的に省略されて簡素化されている場合があります。
ポルトガル語もそうです。ポルトガル本国のポルトガル語より、ブラジルポルトガル語のほうが簡単です。
ちなみに、ブラジルポルトガル語のほうが発音も日本人にはなじみやすいです。

言葉は、シンプルになればなるほど、明快で単純な表現になる。
いろんな価値観の人が交じり合う国で、「なんとなくこう、わかってよ」なんて曖昧な表現をしていてはコミュニケーションが取れません。
北国の人が「オーロラが出たみたいに空が明るくなった」と言っても、南国の人には「オーロラの明るさって、どんくらい?」となります。

育った土地や文化が違う場合は、とにかくシンプルに言いたいことをズバッと言わねばなりません。
そうしていくと、コミュニケーションは単純化していきます。
国際言語である英語や多民族が使う標準中国語(普通話)、南米スペイン語などはこの傾向があるでしょう。

ゆえに、夏目漱石や森鴎外を英文で読んでみると「…なんでこんなに味気ないの……」と唖然とすることになります。
情緒があまりにも無いのです。
なにせ、スパーン!スパーン!と割り切っちゃいますから。

こういった言語は、ビジネスにおいては非常に有用です。
曖昧に表現しようがないから、ハッキリ言わざるを得ない。「善処します」とか「一つ宜しくお願いします」とか言えないんです。
そうすると、誤解が少なくなってスムーズに事が運びます。

earth

しかしながら、スピリチュアルなことを語るとなると、英語や中国語は非常に不向きであると感じます。
高次の感覚というのは、そもそもが抽象的で「ほゎ~ん」としてて「ふわふわ」しているものだからです。「なんとなくアレ、アレだよアレ」な世界なのです。
I got it!って「itってなんやねん」ってとこまで指定しちゃうような言語で、上手く言い表せるはずがないのです。

実際リンデンバウムの英語版の記事でネイティブチェックしてもらったときに、
「あなたのガイドって”he”なの”she”なの”it”なの?」
と友人のアメリカ人はスルドク聞いてきました。

一番正確に言うなら、itです。性別はないので。
でも、それじゃあまりにも味気ない。heにしておいたほうが、人間味もあってしっくり来る。でも男なのかつったら男じゃない。正確には。

こういうどうでもいいところでのジレンマが英語(及び多くのヨーロッパ言語)では発生します。
日本語だったら、主語なんてスパーンと省略しちゃっても全く気にならない言語なんで、もう本当に楽です。
「あの人」で済む。性別すら気にせずに。

日本語の曖昧さ、「なんとなくの空気」をあらわせてしまう表現力は、実にスピリチュアルなことを語るに向いています。

スピリチュアルを語るに向いていると感じるのは、「なんとなく」の曖昧さを表現できる「空気を共有できる言語」です。
少数民族が使っている、話者の少ない言語のほうが、そういった霊的な曖昧さ、高次の感覚をより的確にあらわしている単語があったりします。

例えば、話者が500万ほどしかいない(北海道民より少ない!!)フィンランド語では「sisu」という単語があります。
安易に訳すと「フィンランド魂」という意味の単語です。
が、これがなかなかフィンランド人を知っていないと(下手すると知っていても)理解できない。

なぜならフィンランド人(私が思うに、ゲルマン系、北欧の人もそうだけど)はすごい無表情なんです。
一見すごいクールなんです。感情を全然表に出さない。
そんなフィンランド人が「sisu見せとけ!」みたいに熱くなるだなんてパッとは想像できない。

酒飲んで、ホッケーの対スウェーデン戦で「死ねー!殺せー!」とか言ってるオッチャンたち見るまで全く想像がつかないわけです。(日本で例えるなら、サッカーの日韓戦でしょうか…? それよりもっと強烈ですが)
でも、よく考えてみるとあのクールで無表情(に見える)なフィンランド人から
フィニッシュメタル↓が生まれるわけで

彼らは内面になんだかよくわかんないけどやたらと熱いものを、実は持っている、それこそがsisuなのだ!
と、ようやくここでなんとな~く、その単語を理解できるのです。

そういった「なんとなーくわかる、けど独特」という表現が多ければ多いほど、スピリチュアルな高次の感覚は表現しやすいと感じます。
なぜなら、そういった洗練されていない「土臭い」言葉は、人間の奥底に眠る感覚とスムーズにつながっていたりするからです。
そういう意味では、日本語の中でも方言で表現するのが最強かもしれませんね。

逆に言うと、シンプルで使いやすい言語は、物質的な用途(ビジネス、科学研究、交渉事など)に適していると言えましょう。

スピリチュアルなことが好きな方は、是非この日本語という類稀なる表現力に優れた言語を「当たり前のもの」ではなく「素晴らしいもの」として愛していただきたいものです。
実際に、神を語るに適した、美しく素晴らしい言葉なのですから。

2013年03月06日 | Posted in 読むヒーリング スピリチュアルブログ | タグ: , Comments Closed 

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