つながればつながるほど、あなたは苦しくなる

#○○好きさんとつながりたい
#○○した人全員フォローする
SNSではよくこんなタグを見ますよね。
そういう「つながり」こそが、息苦しさの源泉なのに。

SNSでつながっても、満たされない理由

心が病みたくなければ、ネットで自分を数値化してはいけない。
これはメチャクチャ今の世で大切な自己防護策です。SNSのなにがアレって、「はじめたら嫌でも自分のアカウントを勝手に数値化されてしまうこと」です。フォロワー数、いいね!数、友達数などなど……

そもそも、人間は数値で測れない存在なのに。
数値化したら99%の人が病みます。
SNSやったら病むのは当然です。

残りの1%は何、って?いわゆる数値エリートであり勝ち組。偏差値70オーバーの人たちです。(まあその人たちが病まないかって言ったらその中でまた病んでんだけどさ)

ここ最近「秘するが花!シェアすんな!」キャンペーンを張ってるのも、そこらへんです。
【参考】SNSでランチ写真を投稿する人がダメになる理由
【参考】幸せシェアは、ひかえめに。
【参考】シェアしない人は、上手くいく!

私たちは、小さなころから「自分を数値化すること」に慣れ過ぎています。
・ソフトボール投げで何m飛んだか。
・中間テストの偏差値はいくつか。
・模試で全国何位だったか。
こんな教育を受けて育ったなら、大人になってSNSをやって「いいね中毒」にハマらないはずがないでしょう。

「いいね」の数が自分の価値を決める。
私より「いいね」がついてる人は有能。
私より「いいね」がついていない人は、無能。

その貧しい世界観は一体なんじゃー!!
一生荒んで生きていたいのか!!
↑コレやってて何が悪いって、「絶対に自分はダメ」ポイントに落ち着くからです。人と比較することがあまりにも容易なので、常に周りを気にして人との優劣を判断してしまう。つら。

同人やめましたで、kurumi47さんはSNSによって自分の居場所を奪われた様子をこのように描写しています。※pixivとはお絵かきSNS

やめた理由を書いていくとキリがないので、箇条書きに整理してみます。

<イベント>
・pixivの影響か、昔と違って全然立ち読みをしてくれない。買うときは表紙買いなので、サークル者と買ってくれた人との会話もない。
・相互フォロー同士の挨拶、twitterやめた私は遠巻きにされる。
・twitterやっていた頃は苦手な作風でも義理買い、義理で感想を言うのが苦痛だった。さらに、自分も義理で褒められているというのが分かってすごく消耗した。

<pixiv>
・とにかく陰湿。一作品につき、一人一日一回10点満点で評価ができるのだが、わざわざ毎日1点入れてくる人とかいる。作品とは関係ないタグを付けて邪魔したり…。捨てアカウントでやっているので誰だか分からないのもしんどい。
・評価もブックマークも丸見えで、必要とされていないのが他人にも一目で分かる。
・いつの間にかpixvに毒されてしまい、「受ける漫画」を描くようになったり、自分より下手でも評価されている人を僻んだり、数字ばかり追いかけている自分に気付いたのでやめた。

<twitter>
・仲良くしていると思っていた(ご飯に行ったり、遊びに行ったりしていた)相互フォローの方から突然ブロックされて、人づてに実は嫌われていたと知った。
・永遠に終わることのないリプ合戦で仲良しアピール。
・誰にでも話を合わせていて、全く本音が分からず人間不信ぎみになる。

わっかっる!というより「最近の同人事情ってこんなにハードだったのか…」と呆然としてしまいました。私が同人をやっていた頃(90年代~2000年代前半)もまあ人間同士の色々はありましたが、もっと牧歌的だったので。

でも、これは同人(オタク)に限った問題ではありません。

人工的なリア充写真を見て、「私もあんな風になりたい!」と思って、同じようなリア充アピールをするために「おしゃピク」写真を撮影する。離脱するまで、そんな無限ループが続くのだ。もちろん、そこにリアルなリア充は存在しない。もしかしたら、羨ましく思っている方が、「カリスマ化」している方よりも、実際には裕福で充実している環境であるかもしれないのだ。

(中略)若者たちが、充実を捏造しようとする生き焦るメンタリティには、ゲーム中毒どころではないスマホ時代の社会病理を感じる。

「充実を捏造」
これって、精神的な自傷行為ですよね。だって、そんなことしたら確実に自分の首を絞めるもの。息苦しくなるもの。楽しく見せようとすればするほど、心の闇は深くなる。
【参考】インスタのいいねが欲しくてリボ払いでブランド借金地獄…GENKINGがSNS依存で堕ちていく様子が怖すぎ

フワッとしたつながりが大事

SNSで人とつながると苦しい。
なぜなら、あまりにも情報量が多いから。ちょっとしか会ったことのない人やソコソコの距離感の人(例:会社の同僚・先輩、サークル等で月1会う人)の日常生活を毎日見せられるって、想像以上にストレスがたまるものです。(だから自分も発信しちゃいけないよ~)

あんまり人の事情なんて知りたくないんです。
だって、知ってしまったら、ほとんどの人のことなんて好きになれないから。
だから芸能人は都合のいい情報しか流さない。全部見せたら金出してくれないもん。「今日の握手会で来てたヲタきもい(இдஇ; )ワラ」って裏垢で言ってるのバレたら金ヅルが逃げちゃうもん。

世の中は、洗いざらい本音をぶちまけたら、仲良くなれない人のほうが圧倒的に多い。意思疎通ができないほうが、かえって関係はロマンティックになったりさえする。

多くのアメリカ兵士が、言葉の通じないドイツ人、イタリア人、日本人の「戦争花嫁」とロマンティックな結婚をした。
しかし花嫁に英語がわかるようになると、結婚は破綻しはじめた。兵士たちは、もはや自分の考え、感情、願望や目標を妻に投影して、ペットに感じるような親近感を持つことができなくなった。妻の英語が上手になるにつれ、妻には自分と異なった考え、意見や目的があることに気づきはじめたのである。そうなってから愛が育った場合もある。しかし多くの場合、それで愛が終わった。

言葉が通じて気持ちが通じると結婚が終わる。なんて皮肉でしょう!
同じように、ネットがなくて本音が簡単には見えなかった時代は、人が人に優しくするのはもっと容易だったのかもしれません。
kurumi47さんは、その様子をこう描写しています。

今の同人誌即売会しか知らない人には信じられないかもしれませんが、昔は島中(サークルの壁ではなく零細~中堅が配置される中央部分)でどこの誰が焼いたのかも判然としないクッキーが回ってきて、それを皆で食べたりとか、大手の本が買えなくてガッカリしている所を、前に並んでいて買えた人が「良かったら読みますか?」なんて言ってくれて、その場で読ませてもらったりとか、一般参加で並んでいる時に全然知らない人同士で話し込んでお互いの水筒に淹れてきた紅茶やスープを交換したりしてたんですよ。

あるある。普通にあった。
誰かが困っていたらすぐに助け合う(でも、ベタベタと余計な干渉はしない。その場限り)みたいな空気があった。kurumi47さんはサラッと書いてらっしゃるけど、「ベタベタと余計な干渉はしない。その場限り」っていうのがものすごく重要なんですよ。
今だとこんな場面でスマホをスチャッと出して「ツイ垢なんですか?」ってつながっちゃうと思うの。そこから失望と息苦しさが来るの。だからkurumi47さんがいうところの自分はここにいていいんだという安心感が持てない。がっつりフォロー・フォロワーでつながると距離が近くなりすぎるから。

「すれ違った人とあいさつを交わす」みたいな、ゆるくフワッとした関わりって、実はものすごく大切なんですよ。マンションの住人とあいさつする、みたいな。

その相手と気が合うかっていったら、まず合わない。話も合わない。だけど、あいさつや一言二言「今日は天気いいですね」って言葉を交わすくらいなら、職業が違ってても経済力が違ってても支持政党が違ってても、いくらでもできる。

いわゆる「住む世界」が違っててもいい。仲良しになれなくてもいい。だけど、ちょっとだけ言葉を交わす。少しだけ相手が困ってたら手を貸す。
旅先でお世話になった人に御礼のハガキを出す。でもそれっきり。近況報告などの立ち入った余計な話はしない。

SNSでつながっちゃうと、そういう「ふわっと」関係がつくれない。なぜなら、ガッツリフォロー・フォロワーになって相手の生活丸見え状態だと、99%の人とは仲良くなれないから。共感できないから。
だから「秘すれば花」で、余計なこと話さないで表面だけフワっとしておけば、「結構世の中っていい人多いんだな♪」くらいに思えるようになるわけです。細かいプライベートを明かすのは、ほんの2~3人でいいんです。SNSで大勢に発信してはならない。息苦しくなるから。

先にふれた数値化も「ふわっと」関係を作れない原因になります。
「私のほうが5ポイント上」とか「あの人はフォロワー1万ですごい」とか、はじっめから比較ありきで入る人間関係はどこか居心地が悪いからです。

「心を分かち合える人と出あえたら、さびしさは無くなるのに」という人がいます。
ですが、現実に心を分かち合える人なんてそうそう出会えません。一瞬だけビビッと心が溶けあうような時期がやってきても、必ず冷酷に別れはやってきます。自分が悪いわけでも、相手が悪いわけでもないのに。それはまるではかない恋のようです。


“今痛いくらい幸せな思い出が いつか来るお別れを育てて歩く”

だから、この「フワッとしたつながり」で心をほっこりさせることのほうが断然確実。「どうせこの人と深く話しても分かり合えないよな」という前提でいるから、思いもかけぬ人の優しさにふれた時に素直に嬉しくなれます。
SNSのフォロー・フォロワーだと「このことタイムラインで流しといたのに見ててくれなかったの」などと、相手にいらぬ期待をかけてしまいます。ガッカリしやすいのです。

まあなんだ、とにかく結論はアレだ。
SNSでプライベートを流さないほうがいいし、つながらないほうがいい。どうしても使うなら必要連絡事項を流す程度がよろしいでしょう。

荘子曰く「君子の交わりは淡きこと水の如し」
以上です。

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2017年06月03日 | Posted in 人生:スピリチュアルブログ | タグ: , , , , Comments Closed 

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