外国語学習するとスピリチュアルに開発されるゾー

私が強度の言語オタクなのはメルマガやブログ読者の方ならばご存知のことだと思います。
方言好きも要するにその派生です。今日もカスティーリャ語とガリシア語の発音の違いを聴いてはウヒィウヒィ言って喜んでいます。大体いつも気持ち悪いです。
【参考】日本語は、神を語る言葉である
【参考】混乱の世の中で、ちっぽけな自分にできること。

実は、母語以外の言語に接するのにはスピリチュアル面でもメリットがあります。「スピリチュアルな感覚をいかに言語化していくか」という、ものすごく難しい課題をこなすにも役立つのです。
母語から離れることによって、そもそも私たちはどういう状態をなんて言葉にあてはめているのか、その再点検ができるから。


私たちは赤ん坊のころ、言語無しで生きています。
当たり前ですが、考えるときも言語を使いません。
ただただ、「感じて」います。

母語以外の言語を習得しようとすると、ある程度までなら母語(もしくは習得済みの言語)を使って体系的に学習することができます。
だけど、その言語に本当に踏み込もうと思うなら、他の言語で考えてそれを変換するのでは限界があります。その言語にドボーン!と頭から飛び込んで「ギャー!」と溺れながらあがいてあがいて何とかその言語で表現できるように言語感覚を身に付けねばなりません。その時の母語はリセットです。頭のすみっこに封印します。


まさしく↑これで、頭の言語野を「赤ん坊」に戻すのです。

そうすると、本当に何も言えなくなります。ほとんど伝えられなくなります。当たり前ですが。
その状態って、メッチャ既視感なんです。普段の自分が「精神世界の精妙な言葉にできないものをなんとか言葉にしたいけれど何も見つからない」という悩めるあの状態がメチャクチャ拡大した感じ!

習得済みの言語を自分から奪うと、感覚のみのプールにドボンと強制的に落とし込まれます。思考は言語化されません。ただただ、そこにあるのみになります。それは善でもなく悪でもないのです。だって、言語化されないのですから。

「言葉に出さなきゃバレないよ!」「頭の中で考えるだけならなんだって自由」といいます。だけど、それ以前に言語化の手段が無ければ定義すらできないんです。
となると、「ジャッジしないありのままの思念」というものが自動的に目の前に現れます。ワーオ!THEスピリチュア~ル!!


よく「考え過ぎてしまって自分の感覚がつかめない」「本当に何を望んでいるのかわからない」という人がいます。
そういう人は外国語をやってみればよいのです。できうる限り難解な外国語を。日本語を封印して、その言葉にドボン!と飛び込んでみればよいのです。別世界が見えますから。

日本人ならスラヴ系(ポーランド語とか)がややこしくていいと思います。英語や中国語やスワヒリ語は結構簡単(単純)なのであんまりオススメしません。日本語は、神を語る言葉であるに詳しく書きましたが、シンプルな言語はスピリチュアルな表現には不向きです。ズバッと行き過ぎる。
アルタイ語族系も語順が似てるのでオススメしません。韓国語とかカザフ語とかトルコ語とかですね。すぐつかめちゃうから。

別にその言葉がペラペラしゃべれるようになる必要はありません。スピリチュアルな感覚を磨く、一度自分の思考をリセットする、「自分の感覚を知る」という目的なら、習熟度は別にどーだっていいんです。もちろん独学でOK。
あまり熟練していない言語で「考えてみようとする」、この経験こそが大事なのです。

ちなみに、別の言語を使って自分の内側を整理し表現しようとすると、「感情表現が言葉とちゃんとマッチしていたかどうか」なんてことも確認できます。
母語だと、もうわかった気になってるから、そんなこといちいち考えない。でも、外国語だと「今怒ってる。けど、これはangryなのか?それともmadなのか?それとも両方とも合っているのか?」と、いちいち考えることになるのです。「これは怒りなのか?憤りなのか?」なんて母語じゃまず考えません。オートマティックに「イラつく!」一言で終了してしまう。

そういう作業を丁寧にしていくと、日本語でも「実は私、悲しかったんじゃない。淋しかったんだ」なんて言語と感情のズレが見つかったりします。
ここズレてると、大変です。人と分かり合えません。きちんと感情認識と言語を一致させておくというのは、非常に大切な作業です。でも、母語だともうわかりきってるって思い込んでるから、なかなか気づけない。
悲しみを怒りで表現したって伝わらないし、喜びを照れで表現したって伝わらないのです。ツンデレが許されるのは二次元だけであって、リアルでヒネた表現は理解されにくいものですから。


言語の便利さとレッテル貼りの息苦しさにも気づくことができます。

言語は本当に便利です。記号化して物事を伝えることができます。だけど、それはあまりにもビビットに記号化しすぎていて、ありのままの真実ではありません。ほにゃほにゃした微妙な感覚がもれてしまいます。

精神世界を表現しようとすると苦労するのも、ここです。目に見えない精妙なる世界なんて、ほとんどがこの「ほにゃほにゃ」で形成されているのですから。だけど、私は何とかしてこのほにゃほにゃをできうる限りわかりやすく(=下世話に)伝えねばなりません。それが仕事ですから。

なので、今日も私は外国語のプールにドボーン!と飛び込むのです。

あなたも、飛び込んでみませんか?
ありのままの感覚が見える場所に。

2017年02月22日 | Posted in 読むヒーリング スピリチュアルブログ | タグ: , , , , Comments Closed 

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