命が聖なら、死もまた聖だ

スピリチュアルブログ

「命あっての物種」といいます。
確かに、その通りです。命が無ければこの地球で学びを成すことすらできません。命は間違いなく大切なものです。

しかし、それが転じて「生きることに執着する」と、却って自分の首を絞めることになります。
医療依存がその最たる例です。「お医者様はどんな不調も治してくれる」という非現実的な夢を見、不老不死=アンチエイジングでいつまでも長生き♪を求めた結果、今の医療は惨憺たるものになっています。

管につながれ屍のように生かされる寝たきり老人。
食べる楽しみを奪われてもなお生きねばならない胃ろうの人。
「ちょいっと殺してくれんかね」とかかりつけ医に耳打ちする老人…。

「生きてさえいれば幸せ」
それは本当ですか?

少なくとも、私は胃に穴をあけられ栄養を入れられ人形のようになってまで生きていたくはありません。私は料理が好きな食いしん坊なので、食事ができなくなったら大人しくそのまま死のうと思っています。

塩野七生のローマ人の物語で、昔のローマ人はボケてきた自分や死期を悟ったら、水のみで過ごして死んでいったと紹介されています。
変な話で恐縮ですが、私はこれを見てホッとしたんです。
「なんだ。水飲んでりゃ死ぬんだ。病院行かなくてもいいんだ!」って。

バカみたいですか?
でも、それくらい今の日本人には刷り込まれていると思うのです。
「具合が悪くなったら病院に行って検査して入院して治療を受けるものだ」と。

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この方、90代の女性、お婆ちゃんです。まだお元気な頃の写真。この人ですね、診療所で肺に影が見つかって札幌の病院で検査しました。そしたら肺がんが見つかったんですね。肺がんが見つかったら、普通は抗がん剤をやるとか、入院して治療しましょう、って話になります。もちろんそういう話をされたそうですが、このお婆ちゃんは、札幌に行って1回検査をしたきり、2度と行かなかった。夕張に帰って、最後まで生活しました。

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その亡くなる直前の写真がこれ。すごく良い笑顔ですよね。亡くなる前の日の晩まで、まんじゅうを食べてたそうです。好きなものを食べて、ご家族に、地域の人々に囲まれながら、最後まで生活することをこの人は選んだということですね。

こういうことをしている高齢者がいっぱいいるわけです。よくよく考えたら、僕が総合病院時代に感じていた事、胃瘻の方がいっぱいいるような世界。夕張では、そういう生き生きとしていない高齢者はひとりもいませんでした。
病院がなくなっても幸せに暮らせる! 夕張市のドクターが説く、”医療崩壊”のススメ – ログミー

死を意識するからこそ、精いっぱい生きられるという側面もあります。
しかし、今の日本では死の匂いが日常にはない。それは大抵老人ホームと病院の中に閉じ込められています。だからなんだか中途半端にダラダラ生きては「これでよかったのか」と消化不良のまま死んで行く。

アメリカ・カリフォルニア州の議会では最近、安楽死・尊厳死を合法化する「死ぬ権利」法案が可決しました。
その裏には一人のアラサー女性の安楽死がありました。


【動画】安楽死を選んだメイナードさん

「死ぬ権利」法案は、末期の脳腫瘍患者だったブリタニー・メイナードさん(享年29)が尊厳死を選択したことがきっかけで上程された。サンフランシスコのベイエリアに住んでいた彼女は2014年1月、脳腫瘍の診断を受け、3月にはそれが多形性膠芽腫という悪性のがんで、余命6カ月と宣告された。メイナードさんは「私は2014年11月1日に死にます」と尊厳死を選択することを公表し、カリフォルニア州から、尊厳死が合法化されているオレゴン州に移り、11月1日、自宅で医師から処方された薬を服用して死去した。
安楽死・尊厳死を合法化する「死ぬ権利」法案、カリフォルニア州で可決

安楽死の問題は非常に難しいです。
どこからが自殺でどこからが安楽死なのか線引きするのは困難でしょう。安楽死に見せかけた殺人が合法的に行われないようにも注意を払う必要があります。

でも、一度考えてみてほしいのです。
「もし今の日本で安楽死ができたら? 自分は選択しなくても、周りの人が安楽死を選んだとしたら?」と。それだけで、死というものが非常にリアルに意識でき、逆説的に自分の命を感じることができるだろうから。

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命を神聖なものと見るならば、死もまた神聖です。全ては自然の営みだからです。
死を忌避しすぎると、生が歪んでしまいます。命から力を奪わないためにも、死というものを一度先入観なくまっすぐに、ただ見据えてみてください。

吸う息が誕生だとしたら、吐く息は死です。
朝の目覚めが一日の誕生だとしたら、入眠は死です。
食べることが誕生なら、排泄は死です。

実際に私たちの細胞は常に生まれ、死んでいます。
既にわたしたちは今まで何度も小さな誕生と死を繰り返しているのです。意識していないだけで。
死は常に身近にあります。虫の死骸くらいならすぐ見つけられます。

死を厭うあまり、生に執着しないでください。
悲惨な結果を産みます。
寿命が来たら死ねばいいのです。ふつうに。

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