この記事は、以下の記事の続編です。
ホロスコープを擬人化で説明しちゃうぞ☆
ホロスコープを擬人化で説明しちゃうぞ☆アスペクト編
ホロスコープを擬人化で説明しちゃうぞ☆ハウス編
ホロスコープを擬人化で説明しちゃうぞ☆ルーラー編
今回扱うのはアラフィフ以降です。アラフォー以前はホロスコープを擬人化で説明しちゃうぞ☆年齢域編1をご覧ください。
木星:46~55歳
木星域でのテーマは「円熟」です。
アラフォー火星域では「オトナゲ?んなもん知るか!闘え!!」だったんですが、ここに来るとそのオトナゲが大切になってきます。
火星域でとことんバトって「自分の限界」を知ることで、ある程度「ま、自分はこんなもんだろ」と落ち着くのです。
逆に火星域でちゃんとバトってないと、「いや自分はこんなものではないはず!自分の人生はこんなところで終わるわけではぁぁ!!」とイタイ老人まっしぐらになってしまいます。体力は落ちてく一方だってのに、いつまでたっても叶わぬ可能性を追いかけてしまって、辛い思いをします。
アラフォー火星域ではちゃんとカッカ怒って戦って燃え尽きましょう。それでこそ、何の未練もなくスッキリと「大人らしい落ち着き」が得られるのです。
木星は擬人化イラスト通り「ほゎ~んだる~ん」の星です。海王星と並んで「だらしない」です。もうこの年になったら細かいこととか一々気にしてたくないでしょう。面倒くさいわよぉー。
そういう「だらしなさ」が実はこの時期には大切です。なぜなら、このアラフィフ時期に子供の自立や部下や組織の育成など、「若い世代を育てていく」というミッションが課される人が多いからです。
「いつまでも頼れて何でもやってくれる人」がそばにいると、人間はどうしても育ちません。だって頼っちゃうもの。「このオッサン(オバサン)頼りになんねぇ~!」と思わせることではじめて、相手をしっかりさせる(自立させる)ことができます。あんまシッカリしていてはダメなのです。ちょっとトボけてるくらいのほうが、周りの人間を育てるにはいいのです。
良く言えば鷹揚で寛大。悪く言えばいい加減。
太陽期にこれをやっちゃうと「私って本当は何がしたいの?」から抜けられなくなっちゃうし、火星期にこれをやっちゃうと周りから「ハッ。自分がない無能め」と見下されます。でも、太陽期に自己を知り火星期でうるさいくらい自己主張してきた人ならば、木星域に入ってきたときに「あ、うん。まぁいんじゃない。なんとかなるでしょ」という姿勢が良しとなってくるのです。
人生はいつも同じことをやっていればいいというわけではありません。いい大人が「私っ、頑張って分数の掛算できるようになったよ!」と言ったところで周りはドン引きなように、その時期その時期に合ったプロセスというものがあるのです。
OSHOはそれを次のように説明しています。
老子は言っている、「探せばあなたは迷うだろう」。しかし、この言葉は次の段階のためのものだ。それは探求を始めていない者たち向きではない。何度も探してきて、もはやこの探究にも飽きている者たちのためのものだ。老子は彼らに言う。「探せばあなたは迷うだろう。辿り着きたければ、その探求も落とすがいい」。
でも覚えておきなさい。探求してきてこそ探求を落とすことができる。狡猾になって、「最終的に探究を落とさなければならないのなら、そもそもなぜ探求を始めないといけないのか?」と言ってはいけない。
(中略)
探求を始め、次に探求を落とすことだ。こんなふうに理解してごらん――あなたは梯子を登らなければならないが、次に梯子を捨てなければならない。そのときはじめて、あなたは新しい次元に入る。
木星のテーマは、ここまでの人生経験をきちんと積んできて(=太陽域や火星域をちゃんとこなしてから)こそトライできるものです。
悩んで迷っていろいろ失敗して、ガンガン他人と競って戦って、時には負けて傷ついて。そんな経験をつんできた初老の人間こそがはじめて「円熟」に取り組むことが許されるのです。
もしここをご覧になっているアラフォー以前の年代の方がいらっしゃったら、ご忠告申し上げます。「その年齢で人格完成させようなんざ思うなよ」と。アラサーやアラフォーの分際で「それでは大人気ない」なんて言ってる場合じゃないのよ。「何を分別ついた大人のふりしてんのアンタら」って話です。
様々な経験を通り抜けてこそ、木星のすべてを包むような懐の深さを知ることができるのです。真の成熟を得られるのは、未熟を通り抜けてきた人間のみです。
土星:56~70歳
土星は現実の星です。
ゆえに、土星の年齢域では「とことんリアル」を味わうことになります。
人生経験があまりない頃は、夢が見られます。無知ゆえ許される甘い果実です。
しかし、人生経験を積んでくるとそこまで現実は素晴らしい世界ではないことが見えてきてしまいます。フロンティアを狩りつくしてしまうと、もう未知の世界が無い。夢が見られないのです。
土星域になると、もう物質的なフロンティアはほとんど狩りつくされています。もはや夢は見られないのです。
20代の頃なら「話せばわかってくれるはず!」と食いついていたのが「どうせ言ったって無駄でしょ」になります。そして実にその判断は正しいのです。
老いの現実もやってきます。
もう若くない自分を突き付けられ、できないことがドンドン増えてきます。昔は当たり前のようにできていたことなのに。無理が利かないのです。
とにかく、目の前に広がるのは現実です。
誤魔化しのきかないえげつないくらいの現実です。
幻想に夢見て自分を大きく見積もることも、もはやできません。「ありのままのちっぽけな自分」をつきつけられます。
この試練は、社会的に成功したから逃れられるというものでもありません。
誰でも自分の人生のピークから相対的に落ちる経験を受け入れざるを得ないのです。確実に、衰えている自分を。
若い頃なら好ましく見えていたしぐさすら、ジジババになった今は清潔感のかけらもありません。ストレートに醜いのです。少なくとも、若い頃よりは。
このプロセスは一見、ものすごくむごいです。救いがなく見えます。しかし、人生において大切な過程です。
こうやって「あぁ、もう若くない」「もうできないことが増えていくだけだ」と、ありのままのもう大したことない発展性も見込めない自分を受け入れてこそ、真のグラウンディングが達成されます。
そう、物質世界からの卒業です。以後は、スピリチャルな領域に入っていきます。
物質を手放すことで、精神はどこまでも自由に広がっていくのです。夢見ていた幻想が、手に入るようになります。その前に必ず通らなくてはならぬのが、この試練の時なのです。
天王星:71~84歳 天王星
「なぁーんか、これ以上生きてたっていいことなんかないよね」
土星域を通じて、こんな風にとことん諦めると何が起こるか。
物質的世界へのふっきれです。ここからはもう執着がなくなっていきます。
そうすると、周りを気にせずマイペースに開き直って生きていくようになります。
実際そういうお年寄りって多いでしょう? 何言っても馬の耳に念仏。物質世界ど真ん中でモリモリ生きる若い世代が何を言ったところで無駄なんです。もうそういう世界とは決別しつつあるのだから。
天王星は変人の星でもあります。もうこの年になると変人扱いされても構わないのです。
そんな恥じらいなどあったところで別に若返りもしないし持病が良くなるわけでもねんだよ。じゃあ無駄じゃーん。
周りのことが気にならなくなると、自分の内面により光が当たるようになります。
俗世的なものから切り離されていくのです。その様子は現世にどっぷりはまり込んで物質世界のエゴと格闘している若者たちからは眉をひそめるような光景に映ることもあるでしょう。「男(女)も、ああなったらおしまいよねー」的な陰口をたたかれることもあるかもしれません。
でも、本人的にはどこ吹く風。未熟な物質世界で金だの恋だの出世だのギャーギャー言ってるケツの青い人種の精神性の低い下らない話なんて、もぉどーでもいーのです。
ここまできたんだから、とことん自分の感覚に従います。他人の目なんか、知るか!
そしてそういう姿勢は意外と、深いところで人生の本質をついていたりするのです。
海王星:85歳~臨終
すーごい「物質的に」いうと、海王星は「ボケ」です。
「常識」からみると、この年齢域はもうボケています。言うことにピントが合っておらず、とんちんかんだったりします。そして若者はそういった年寄りを嘲笑います。
しかしながら、この域に達した人は物質世界からますます解き放たれています。時間軸がもう三次元ではない人も多いです。だから次々と好きな時間軸に移っては、訳の分からないことを言ってみたり過去のことを今のことのように話すのです。それはもう三次元ではありません。高次の時空感覚に近いです。
海王星は芸術の星です。実際、この「老人ボケ」と芸術は無関係ではありません。ある研究では年をとって頭がキュルキュル回らなくなってからのほうが自由な創造性に恵まれる可能性を示唆しています。
【参考】加齢で認知機能がゆるんだ分、創造性は向上しうる:研究結果|WIRED.jp
そもそも「過去-現在-未来」という一方通行な時間軸はこの三次元限定のものすごく視野狭窄な貧し~い感覚であることを忘れている人が多いです。もともと時間や空間というものはそんなものではないのです。本来ちゃんとみんなそれを知っているのに、肉体に入った瞬間バカのように忘れてしまいます。
そして信じるのです。「時間というものは一本道で過去から未来に連なるものである」という限定的な思考を。ああ、なんと愚かで貧しい世界だこと!
わかりやすくいうなら「棺桶に半分足突っ込んだ」という状態は、物質的な世界から解放されつつある姿です。もう既に三次元じゃないところにつながっているのです。それはまさしく精神の解放です。
ただ、あまりにも今まで自己を抑圧しすぎていた人は、それが変な方向にニュルッと出てしまいます。教師や警察官などのお堅い職業の人に認知症が目につくのは、現役時代自分を律しすぎたツケとも言えるでしょう。
あんまり真面目にキチンと生きすぎると、物質的にゆるんだ時に一気にバランスを崩します。普通の人にとっては解放であるそれが、安らぎにならないのです。
ああ、かわいそうに!
冥王星:死の瞬間
死とは、宇宙と一体化する瞬間です。
肉体から完全に解放され、すべては一つになります。
それは恐怖でも苦痛でも何でもなく、ただ一体感があるのみです。
もとあったところに、還っていくのです。
限られたわたしから、より大きなわたしへシフトする瞬間は、死の瞬間に訪れ、その時に悪魔がやってくる。それをどう扱うかで解脱できるかどうか決まるというのが、チベットの死者の書の内容でもある。逃げると虫や犬や牛になり、飲み込むと、開かれるものがある。
「総合案内者としての影の使者」死後を生きるより