あなたの星の配置には、意味がある

スピリチュアルブログ

自分の星を愛するということ

占い全般で言えることですが、私は安易に「運がいい」「運が悪い」と決め付けるのが嫌いです。
【参考】天中殺や大殺界こそ幸運を呼ぶ
人生万事塞翁が馬であり、禍福はあざなえる縄の如し。

西洋占星学でも「土星は凶の星」だの「グランドトラインは幸運の象徴」だの、本当に薄っぺらな判断だな!と憤りすら感じます。
人間というもの、人生というものを深く読み解かずして、表面的な運気だけでものを言うだなんて、愚鈍にすら見えます。

だから、自分のホロスコープを見て「こんな配置がある私はいい人生を送れない」とか「私はこの配置があるからダメなんだ」とか、自分を嫌いになる材料にするのはやめてほしいのです。

スピリチュアルに言うなら「意味があって、あなたの性質は与えられている」。
少なくとも今回の人生では、この性質をもってして生きてこそ、あなたは一番魂の成長を遂げられるようになっている。その成長を導くための羅針盤がホロスコープなのです。

一つ一つの星の配置に、無駄などないのです。

スピリチュアルなことが好きな方は「自己受容が大切」と耳にタコができるくらい聞かされていると思います。
ここでもしつこく同じことを言います。
「自分の星を受け入れることが、あなたを至福へと導くのだ」と。

一般論では苦しみや試練しかもたらさぬといわれるような配置ですら、そこを乗り越えた者にしか見えないものがあります。だから、あえてあなたはそれを選んできているのです。
簡単に受容することは難しいかもしれないけれど、世間的に凶といわれる配置であってすら、あなたの魂にとっては必要なエネルギーの巡り方なのです。

どうぞ、自分の星の巡りを愛されますように。
そして、深みに横たわる真実に気付かれますように。

今の星を選んで生まれてきた理由

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以下に、自身も占星術に深い造詣のあるセラピスト、ロビン・ノーウッドの愛しすぎる女たち 癒しのときから、ご紹介します。
かなり長い引用になりますが、自分の星を使いこなすこと、すなわち自分の性質を心から受け入れることの大切さが伝わる内容です。

「ご両親のことを話して。どんな方たちだったの?」

話題が自分のことからそれたのでほっとして、彼は答えた。
「母は素敵な女性です。自分で言うのもなんですが、私は母のお気に入りでした。そして、私に対する父の接し方の埋め合わせをしてくれました。
 それで、残酷さの話をなさりたいならですが、父は残酷でした。肉体的に、というわけではありませんけど。ええ、違います。それよりずっと巧妙でした。
 私に母の兄の名をつけようと言い出したのは父です。そのおじは、完全な落伍者で、愚鈍で、野心も何もまったくない人でした。
 それから、大人になるまでずっと、父は私をジョージおじと比較し、彼にそっくりだ、と内心では思っていたに違いない。私が自分に知性のあることをどんなに証明しようと、何を成し遂げようと、いつも私のことを、ろくでなしの一歩手前としか見てくれませんでした」

彼が自分の話で熱くなりかけたまさにそのとき、彼女がこう問いかけて話題を変えた。
「誕生日を教えてくださらない?」。
天体暦を取ろうとハティーがそばの本棚に手を伸ばしているとき、彼はぶっきらぼうに答えを呟いた。

「この本には今世紀のどの日にどの惑星がどこにあるかが書いてあるの」。
彼女は彼が教えた日付を調べながら説明した。
「やっぱりね」
彼女は満足そうに言って、そのページをぽんとたたくと、細かい数字の列を彼に示した。

「あなたが生まれてきたとき、火星がおうし座にあったの。ヒトラーもそうなのよ。あなたの手のひらが示しているいくつかの特徴が組み合わさると、残酷な傾向を示すの。もり上がった下の火星宮、内反の親指、全体的に分厚い手のひら、太くて短い指。おまけに、立派な心とかなりの感受性の印も出ているの。
 人は時々、残忍な傾向を示す印をいくつか持って、ある生に生まれてくるの。でも彼らは、すでに十分な意識を獲得しているから、そういう傾向は押さえられなければならないと理解しているわ。

 つまり、自分の目の前にすごい課題があるの。なぜって、自分自身の気性と戦いながら一生を過ごすのですから」。

ジョージはその言葉に激怒したが、ハティーは気づかない様子で彼に微笑みかけた。

「私が何を考えているか、おわかり?
 あなたは、自分自身の中に残酷さに対する嫌悪の情を生み出すために、わざとお父さんを選んだと思うの。あなたは生まれてからずっと、お父さんみたいにならないようにしようと思いながら生きてきた」。
「そうなんです、ええ!」
ジョージの声は叫びに近かった。
しかし、物心ついて以来ずっと頭の片隅にあった、ごく幼いころにしたその決心を、彼女にズバリ言い当てられたのが不愉快だった。

「それには成功したと思っていますよ。私は、父とは正反対の人間です。父は馬鹿にしていました。私を、きょうだいたちを、母を、親戚たちみんなを、すべての人をね。父の気に入るくらい善良な人も、頭のいい人も、一人としていなかったんです」。
「で、あなたはそういうこと、お父様のようなことはぜんぜんしない?」
「ああ、しない! 私はいつだって、子供たちも、どの妻も、大切にしなければと極力気をつけていた」
「誰か、あなたに自然さがかけると非難した人はいない?」
ハティーはたずねた。
ジョージはいくらか話がわき道にそれた気がした。
「実は、子供たちがよく言ったいた、もっと気楽にいくべきだ、と……。それに、どの妻もしょっちゅう文句を言っていた、私はいわゆる『面白い人間』ではないと。
 だが私にはぜんぜん理解できなかった。ずっと昔に、いつも朗らかでいようと決めたんだ。父みたいにブツブツ言ったりは絶対にしなかった」。
彼は不意に言葉を切ると、うっとうしそうに首を振った。

「ときどき、私はなぜこんなに一生懸命やってきたんだろう、と思った。本当の私を知らない人たちは私を好いてくれるが、近しい人たちは……いや、近しい人などいないんだ。私にはどうしてもわからない」。

ハティーが彼の手を小さくたたいた。
「あなたに理解できるように手伝ってあげましょう。……想像してごらんなさい。

 親切になる勉強ができる学校があるとしましょう。どうすれば親切になれるのか、あなたは生まれつき知らなかった。でも、一生懸命学んで絶えず練習して、学ぼうと決心をした。

 それから、こうも想像して。この学校に入るまでは、あなたはまったく親切ではなかった。お父さんと同じように、長年の習慣という以外、何の理由もないのに、ほかの人に対して残酷で傷つけることが多かった、と。

 今あなたは、『親切学校』のたぶん二年生になっているわ。あなたの学んだことがごく自然なものとして身について、努力したり、それについて考えることすらしなくてもよくなるまでには、まだ長い道のりがあるわ。あなたはまだ、残酷な衝動や思いやりのない言葉、批判、侮辱、それどころか、野蛮な行為を抑えることに取り組んでいるのよ。でも、あなたはこの学校に入ってから、そういう、攻撃的で人を傷つける傾向をほかの人の目から隠さなければ、そのまま学校で学ぶことすら許されないのではないかと恐れてきた。
 それであなたは、依然として自分の基本的な部分であるものを覆い隠そうと、懸命になっているの。自分自身に対してさえ、恥ずかしく、認めるのを恐れてきた部分を……」。

 ハティーの前に座っているジョージ判事は、若い弁護士だったときには、芸術的なまでに巧みな論理を駆使したほどの人物だったが、このおろかな女の言うことをめぐって討論するにはまったく頭が働かないことに気づいていた。

「いちばんつらいことは」と、ハティーは続けた。
「今でもあなたの本質的な部分である衝動は、時々解放しなければやっていけないほど、あなたを圧迫するということです。あなたは仕事を通してその多くを解放することができていた」。

ジョージは視線を床に落としたまま、うなずいた。
「検察官をしていたとき、二番目の妻が訊きました。気持ちの上で、どうすれば私が自分の仕事を処理できるのか、と。私が毎日扱っている暴力沙汰や残忍な行為の話を聞くのが、彼女には耐えられなかったんです」。
「もちろんそうだったでしょう。
 あなたが人が他人に行った残酷な行為と戦っていたとき、あなたは自分の中にある残酷さとも戦っていたんです。それこそ、あなたが克服しようとここに来た理由ですよ。でも……」。

ここで彼女は、両手でそっと彼の両手を握った。

「自分自身の残酷さを認めることができないと、あなたは危険です。あなたの暗い面が表に出て、人を押しつぶそうとするでしょうから。あなたの残酷さは、法廷であなたの前に現れる人たちに向かいます」。
「私はそんな人間じゃない!」。
判事の声には威嚇と絶望が入り混じっていた。
「私は罪を犯したりしない!」

「サマセット・モームの『雨』という小説を覚えてらっしゃる?」。
ハティーはまた、話題を変えようとしているようだった。
「『ミス・サディー・トンプソン』という映画になりましたよね。運任せで快楽主義の若い女性を娼婦の生活から救い出す責任を、厳格な牧師が引き受けるんです。
 彼女が淫らな暮らしぶりを変えることを承知しかけたちょうどそのとき、熱帯特有の激しい暴風雨が襲い、二人は小屋に閉じ込められる。二人きりで。
 ……長い間否定し続けてきた感情と強い衝動に駆られ、牧師は彼女をレイプする……」。

ハティーは一息つくと、物語が効果を表すのを待って、それからまた続けた。 
「私たちは、どんな部分でも人間性を否定すると危険になるものなの、自分で恥ずかしいと思っている部分でもね」。

二人は長いこと沈黙していた。
それからジョージが、憤りと敗北感の混じった低い声で尋ねた。

「どうして三人の妻は、そろいもそろって私を置いて出て行ったんだろう? 子どもたちはどうして私を避けるんだろう? あなたがなんと言おうと、私は絶対に誰も傷つけたりしていない!」。

「よくはわからないけど、その理由はまず第一に、あなたは本当のところは信頼していなかったことじゃないかしら。あなたが自分の気性のある要素を抑えようと常に努めていたことに、たぶん無意識に気づいていて、あなたと一緒にいるのは大変だと思ったのよ。
 そして第二には、たぶん、あなたの中にある残酷さが、何らかの形で微妙に漏れ出ている。誰もそれとはわからないけれど、それでも傷を与えている」。
「それじゃ、絶望的だ!」
ジョージはほとんど怒鳴っていた。
「勝てっこないさ、どんなに一生懸命やったって」

「そういうことじゃないのよ。あなたはすでに何十年もの年月を使って、あからさまに人を傷つけるようなことはしないことを学んできた。ほんとうに学んできた。
 あなたの生き方は、例えてみればブレーキをかけたまま車を運転するようなものだった。でも、以前は車を運転するたびに時速百六十キロで走って誰かをひき殺していたとしたら、ブレーキをかけたまま運転する方法を覚えたのは、あなたにとって大きな進歩だった。
 問題は、プライドのせいで、自分の中の荒れ狂った攻撃的な部分、つまり、時速百六十キロで走って、その結果地獄を招く部分を、否定せざるを得なかったこと。あなたはその部分を認め、意識的にそれに抵抗することができたかもしれないのに。
 ほんとうは、あなたは自分自身にプライドを持つべきなの。一回の生涯の間に、あなたはずいぶんたくさんのことをやり遂げてきたんだから」。

愛しすぎる女たち 癒しのときより

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