滋賀県 M様より頂いたメールをご紹介いたします。
Nozomi様
メルマガ発行1000部突破、おめでとうございます!
今年の1月にセッションを受けてから、半年以上が過ぎました。
その節はありがとうございました。
セッションを受けたきっかけは、仕事でも私生活でもやるべきことに手が付けられず、どんづまりになり周りに迷惑をかけてしまう。
そして、そういう事態を繰り返してしまう。
そんな甘くてダメな自分を叩き直すにはどうすればいいのかアドバイスがほしかったからでした。
ところが、セッションで得られたメッセージは
「頑張り過ぎ。抱えすぎ。もっと肩の力を抜け」というもの。
簡単な事務作業とか、日々の家事とか、最低限のこともできないと悩んでいた私にとっては、正直、ポカーン。
頑張れてないのに、頑張りすぎってどういうことじゃー!と、ハテナばっかりが頭に浮かび、
「もっと人に頼る術を身につけなさい。助けてもらえるようになりなさい。」と言われても、わかったようなわからないような感じでした。
ただそれから、これまでは自分には全然必要ないと思って避けて通ってた
「頑張らない生き方」とか、「自分を癒やす」といったキーワードと向き合えるようになり、関連する情報への感度が高まってきました。
(それまでは成長とか克己心を養う方法とか、成果を出して周りに認められるにはといった類にしか興味が向かなかったんです。
つくづく、何をそんなに焦っていたんだろうと感じます(笑))
そこから派生して、心理系のコラムでアダルトチルドレンとか共依存とかの言葉も知り、いかに自分が自己肯定感の低いタイプだったか、両親への確執が心の中に隠れていたか、自覚できるようになりました。
まだまだ人に頼るのは下手ですし、自分を責めてしまうクセは抜けきれていませんが、これからも自分の内面を見つめて肩の力を抜いていこうと思います。
あのときセッションを受けていなかったら、いまだに頑張ろう、認められよう、甘えていてはダメだ!と奮起しては空回りする苦しい日々を繰り返していたと思うとゾッとします。
息切れせずに生きるためのチャンネルを開いて下さり、本当にありがとうございました。
私は、恋人や友人から電話、メールの返事がなくても不安にならないし、会えなくても平気なタイプ(なはず)なのですが、一人のとき、ふとした瞬間に好きな人の名前をつぶやいてしまうクセがありました。
付き合ってる人がいないときは二次元キャラの名前ですw
特に、感情もなく。
助けてほしいわけでもない。なぐさめてほしいわけでもない。
構ってほしいわけでもない。会いたいわけでもない。
ただ、何も考えることが無くなったから呼びかけてみるという感じです。喫煙者が惰性でタバコを吸うときの感覚でしょうか。
気がついたら吸っている、というように、気がついたら、誰かの名前をつぶやいている。
で、最近は彼氏もおらず、萌える二次元もいない状態が続いていたので口寂しさを感じたときに、「「スピリチュアル」との付き合い方」というブログ記事にあった、
「何かにすがって救いを求めたいなら、まず自分にすがってください。」
という言葉を思い出し。
自分の名前を思わず呼んでみました。
すると、
なんだこりゃ!ってほどに涙があふれてきたんです。
ずっと喧嘩してた人から話しかけてきてもらえた安堵感というか、
嫌われてると思ってた人から優しい言葉をかけてもらえた嬉しさというか、
人から頼りにされているときに感じる、自信に満ちた感覚というか、
なんというか、そういう類の充実感と満足感がぶわーって胸の底からあがってきて、みぞおちのあたりがすごく温かくなりました。
自然と、自分に対して
「ずっとそっぽ向いててごめん。無視してごめん。寂しかったんだね」
という言葉が浮かびました。
私、ずっと誰かに助けてほしかった、なぐさめてほしかった、構ってほしかった、すがりたかったみたいです。自分の孤独感に気づいていなかったんです。
これまで、インナーチャイルドを癒すワークを自分なりにやってみて、それなりに癒されてはいたのですが、やっと確信の癒しの言葉がみつかった瞬間でした。
このような気付きを積み重ねていきたいです。
末筆となりますが、Nozomi様のこれからの益々のご活躍をお祈りいたしております。