与えられた「役割」の不思議さ

20130814
写真:プラ子旅する。—まだアフリカです。 :: 2013.08.14より

今年も、リンデンバウムのセッションでいただいたお金から、本日6/9付でNPOアシャンテママに寄付させていただきました。

以前の寄付のご報告や寄付することになった経緯等は、以下の記事をご覧ください。

NPOアシャンテママがどんな活動をしているのかは、上で紹介した記事やプラ子(栗山さやか)さんのブログか、著書なんにもないけどやってみた――プラ子のアフリカボランティア日記をご覧ください。
ざっと一言でいうなら、アフリカ・モザンビークの子供や女性に生活の援助や教育を行っている協会です。

今、プラ子さんはただでさえ多忙な毎日にプラスして、医療技術を身につけるため、現地の学校に通っています。
普通に考えると、「なんでそこまでできるの?」と感じるのではないでしょうか。
多分、ほとんどの人が「何それ無理、自分にはできない」と思うのでは?

私も、もちろんそうです。単身アフリカに渡ってNPOを立ち上げるという時点で、「素晴らしい」とは思っても、同時に「自分には真似できない」と思います。
それは彼女のイギリス人の友達もそうだったようで、ブログにはこう書かれています。

5年ぐらい前、まだ協会を立ち上げる前、
アフリカとビジネスで関わりのある
イギリス人の友人に協会を立ち上げてみようと
思っているって話を少ししたら

「絶対辞めたほうがいい。さやかの安全の問題もあるし、
色んなことに巻き込まれてきっと参ってしまうよ。
それに、協会の活動費、いつまで自分で出せるの?

イギリスは、他の国への寄付の援助とかは
宗教心の強い人が積極的なぐらいで
人々の関心は、サッカーと自分の日常のことだよ。
でもそれがどこの先進国でも普通なんじゃないかな。。」って。

:: ready for さんへの申し込みをしてくださいました。 | プラ子旅する。—まだアフリカです。 ::より

多くの人が、この人と同じ意見だと思います。
「やめたほうがいいよ、そんなこと」と。
それが真っ当な考え方ですらあると思います。

昔ケニアのナイロビで知り合った旅していた日本の男の子が
だいぶ前にメールくれて、

まだあのアフリカにいるんだね。
あんまりずっと長く1人でアフリカにいたら
心身ともに擦り切れちゃうんじゃないって。

もの盗まれまくってたり、肌の色の違いで差別されること、
いつでも警戒していなくちゃいけないことなんかもそうですが、
一番きついのは、できれば知らずにいたかった、
お金の横領のこととか施設なんかの内部事情とか、
どんどんわかってきていること。
それをうーんそれはまずいよね、間違っているよねって、
共感してくれる人がいないこと・・。

:: 落ち込むこと。 | プラ子旅する。—まだアフリカです。 ::より

この友人の心配も、もっともだと思います。

私もブラックアジアを読んでるとき「プラ子さんの活動にもきっと、難しい問題があるのだろうな」と思いました。その内容とは以下の通り。

弱者支援のボランティアに関わる人たちがいる。彼らは最初、希望に燃えて運動に身を投じている。しかし、やがて割り切れない思いを持って現場から去る人も出てくる。

それは、援助に依存して、まったく自立しようとしない人たちがいることに違和感を感じ、ある日その現実に耐えられなくなってしまうからだ。

支援されることに甘え、支援者に寄りかかり、もっとよこせと要求する人たちが出てくる。その姿に幻滅して、現場を去っていく。

支援を受ける側は、意図的にそれを悪用しようとしているわけではない。ただ、少しでも有利に、そしてたくさん支援を受けようと思っているだけなのだ。しかし、それが支援の隷属につながっていく。

本来は必要最小限の支援を受けて、元気になったら自立のために行動すべきなのだが、それをしないで、より支援を受ける方にエネルギーを注ぐようになる。

そして、それが長く続くことによって自立の芽が枯れ、人に頼らないと何もできない人間になっていく。

自立。それは、誰もが一生を賭けて追求するに値するものより

この記事を読んだとき、「プラ子さんもこんなこと日常茶飯事で見聞きしてるんだろうな」と思ったんです。二人のご友人が言っていたように「色んなことに巻き込まれて」「心身ともに擦り切れちゃうんじゃない」。

ここ日本ですら、福祉関係業界のウラ側ってもうゲンナリするくらいえげつないですし。子供の障害者年金でブランド物のバッグ買う母親とかふっつーにいますよ(んで、その障害年金受給者自身はおなか空かせてやせ細ってる)。児相の話とか、もうピーでピーでピーだし。

でも、プラ子さんははじめました。
そして、続けています。もう5年も!
信じられないですよね。畏敬の念しか沸いてきません。

だけど、失礼を承知で言わせてもらうと、
「そういうものなのだろうな」
とも思うのです。

「やりたくてやってる」とか、「楽しくてやってる」とか、そういうことじゃなくって、「もうただひたすら、そういうものなのだ」という感じだと思うのです。
やらずにはおれないというか、やるのが自然で当たり前というか。
人から認めてもらえるとか、笑顔が見られるとか、もうそういうレベルじゃないのではないかと思うのです。

ものーすごくおこがましいこと承知で言わせてもらいますが、私もこのヒーラー業に関してはそうだからです。
この仕事は楽ではないし、(どこの業界でもそうですが)ちょっと目立つと叩かれるし妬んで足引っぱってこようとする人はいるし、変な人にも遭遇する(例:私が無料セッションをやめた理由)。
しかもヒーラー専業で食べていこうだなんて、冷静に考えるなら正気の沙汰とは思えない。

実際に反対もされたし、それで親とも縁を切ったし(私をキラキラしていて素敵だと思っている方へ)、もうマトモな頭の持ち主だったら、絶対こんなことやってないんですよ。
冷静に客観的に頭を回せる理性のある人なら、こんなところには突っ込んでいない。

でも、やっちゃう。
やらないと、自分の命が無駄になる。生きてる意味がなくなる。

そんな焦燥感というか、わけのわからないエネルギーの盛り上がりというか、わきあがる生命力というか、そういうもので、もうとにかくグイグイ引っ張られちゃうわけです。
「自分の役割」へと。

ここまで読んで、プラ子さんと私を同列に並べるだなんて、全くけしからんとお怒りの方もいらっしゃるでしょう。それは申し訳ありません。
ここで私が伝えたいのは「天から与えられた役割があるとき、人間はどうしようもなくそこに行ってしまうのだ」ということです。言うなれば、魂の使命です。

そういう役割を果たす道のりは、全く意味不明でわけがわからなくて非合理で、他人から見ると「何でそんなことやってるの?(できるの?)」と映るでしょう。

でも、やるのです。
理性では理解できないけど、やるしかないのです。
プラ子さんもそうやっているのではないか、と勝手に推測してしまった次第です。

最後に、セッションを受けてくださったお客様への感謝を改めて。
あなたのおかげで私は、応援したい人に寄付もできるし、ブログメルマガも無料で提供できています。

私の力だけでやっているわけではないのです。
お客様に支えられているからこそ、今の活動があるのです。
すべては、セッションを受けてくださるお客様あってのこと。

重ねて感謝申し上げます。ありがとうございます。

関連記事