「正しいこと」は、本心ですか?

スピリチュアルブログ

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セッションスピリチュアルカウンセリング)で、一生懸命「正しいこと」をおっしゃる方がいます。
それは多分、長年培ってきた習慣であり、処世術なのでしょう。

わかりやすい例を、ひとつ。

とある女性に「あなたは何をしたいの?」と聞いたとき
「私は主人が幸せならそれでいいです」と答えました。

「いや、あなたが何をしたいか聞いているのに、どうしてご主人が出てくるの。おかしいでしょう。
あなたが自分で純粋にしたいことを言ってください。人がどうこうは置いておいて」
「私が……私が……。私はみんなの笑顔が見られればそれでいいです!」
「いや、だから人のことは置いといて!自分が何をしたいの!」
「ど、どういう意味ですか?私が何をしたいって」
「だから、私は自由に生きたいですとか、私は毎日たくさん眠りたいですとか、私は陶芸がしたいとか!『私が』何をしたいの!」
「私……私……私……。
私…わからない…。私には、何もない……」

この女性はようやく「周りに合わせすぎてすっかり『自分自身』を失ってしまっていた」ことに気づけました。

女性は、「夫(子)のためなら何でもします!」「家族のために犠牲になります!」といっていれば、社会的に「正しい女性」として許されます。
男性なら「仕事のため」「会社のため」になるでしょう。
そう、「周りのため」と言っていれば、大目に見られるのです。

これが忌まわしき不幸製造装置、共依存症を増長させてきたのは言うまでもありません。

誤解しないでいただきたいのですが、それが本心から出たものであれば全くかまわないのです。
本当に、魂の底からわきあがってきたものならば、セッションでだってガイドはツッコミません。それはまさしく、真実の愛でしょう。

問題は、「こういっておけば正しいから糾弾されない」と自己保身のために「正しいことをすらすらと述べ、自分の本心を隠すこと」です。
厳しく言えば、自己欺瞞です。

確かに、普段の生活で正しいことを述べねばならない場面はあるでしょう。
優等生ぶって、いい人ぶることは、処世術として賢いでしょう。人との無駄な軋轢を起こさない手段として有用ですからね。

しかしながら、セッションでガイドに向かってそんなことを言っても仕方がありません。
「お前何言ってんだ。そんなこと本気で思ってるなら、死ぬまで満たされない人生送ることになっぞ」
とツッコまれるだけです。

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表面的に「正しい人間ぶる」ことが、絶対悪だと言ってるわけではありません。
でも、「正しいことを上っ面で言っているだけ」という自覚がないなら危険です。

問題なのは「正しいことは言えるけど、自分の心がどう感じているのかがわからない」。これです。
ちゃんと、あなたの心は感じていますか?
そして、その感じていることをジャッジせずに、受け止められていますか?

別に、ありのままの自分を世間様に向かって広く主張しろというわけではありません。
そうではなくて、自分の中だけでも「感じたことを良い悪いと判断せず、そのままで受容できていますか?」ということです。

「正しいこと」はあなたの人生の指針ではありません。
導きは、魂の内側、心の奥底からわきあがってくるもの。

感じることができない人は、人生を惑います。
「正しいこと」と「本当に感じていること」の区別を、つけられるようになってください。

魂にとっては、「正しいこと」には価値がないのです。
心から感じたことこそに、黄金の価値があるのです。

真に満たされたいと思うなら、「すべきかどうか」を判断するのではなく、ただ感じてください。
そこにあなただけの真実があります。

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