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      更新履歴

by Nozomi ~ 6 月 19th, 2009
 

2009.07.01 ご予約(営業日)更新(7/22~8/19)
2009.06.19 Blog 「死にたい」と思うのは甘えじゃない 更新
2009.06.14 Blog 積み重ねることの大切さ 更新
2009.04.27 夫の癒しを見守る~お客様の声 更新
2009.04.17 過去をとむらう旅~お客様の声 更新

 

      「死にたい」と思うのは、甘えじゃない

by Nozomi ~ 6 月 19th, 2009
 

「どうしてこんなに自分は駄目な人間なんだろう」
「自分に生きてる価値なんかない」

そうやって、落ち込む機会が今の日本を生きる人たちには大抵訪れます。

それはなぜか。
衣食足りて、余裕があるからです。

「こんなに恵まれた環境で死にたいなんて考えるなんて、ただの甘えだ!
 世界には食べ物がなくて、死んでいく子供たちだっているのに!」
そう思う立派な志の方もいらっしゃるでしょう。

確かに理屈ではそうです。
でも、「死にたい」と思うほど落ち込んでいる人に向かって、そう言った所でその人の気持ちが軽くなりますか?
そんなことじゃ、気持ちは晴れません。

正論だけでは、人は癒されないし生きられないのです。

ここを見ている方は、衣食住の問題から解放されている方がほとんどです。
明日食べるものの心配はしなくていいし、着る服もあるし、雨風しのげる場所もある。
そういった「恵まれた環境」だからこそ「自分は生きている価値があるのか」と問答する余裕があるのです。

言い換えると、その問答をする必要があるからこそ、衣食住の問題がクリアされた環境におかれていると言えます。

「自分は生きている価値があるのか?」
それは、深遠なる自分の闇をのぞきこむ作業です。
本当に深い恐怖を味わうことになります。

なぜなら、どんな人間だって「自分はこれが駄目だ」と思っているところがあるから。
人間は、完璧にすべてをこなすことなどできないのです。

考えれば考えるほど「できない自分」「駄目な自分」をつきつけられます。
「ああ、もうどうして自分はこんなにできないんだろう、駄目なんだろう」
そうやって泣いて苦しんで、でも現実は一つも変わらなくて、どうしていいかわからない。

それこそが、本当に大切なプロセスなのです。
今の日本を生きる人たちには「本当の愛」を持つことが求められています。
嘘じゃない、偽善じゃない、無条件の愛を持つ。そんな高い課題を求められています。

そうするには、まず自分のことを偽りなしに芯から愛さねばなりません。
自分を無条件に愛することなく、他人にも同じことはできません。

そのために、避けて通れない道。
それが「駄目な自分すら愛すること」「自分の闇の部分すら、受け入れること」なのです。
だから、やたらと自分の駄目なところをピックアップして突きつけられる。

言ってみれば、そうやって「死んでしまいたい」と思うほど自分の闇をのぞけている人は、「真実の愛」を手に入れるプロセスにきちんと入っていると言うこと。
自分に嘘をついて、他人にも嘘をついて「私には駄目なところなんてありません。私は協調性のあるいい人ですよ」なんて顔をしていられる人のほうが、愛の目覚めと言う視点では遅れているのです。

だから「死にたい」と思っても、そんな自分が良くないと鞭打たないでください。
そんな後ろ向きな自分だって、自分なんだからいいじゃない、かわいいもんだ、と自分を愛せるように、少しずつ受け入れてあげてください。

死にたいと思ったからって、死なないでください。
思うだけは自由なので、それは止めませんが、実際に死んでしまうのは断固として止めます。

なぜなら、そこまでちゃんと闇と対峙できる段階まで入っているのです。
そこをくぐりぬければ、本当に自分のことが好きになれる。
そこで自分を優しく自分でケアしていけば、他人とも心からの愛を分かち合えるようになる。

ね。「死にたい」と思うのはそんなところまで来られている証拠なのに、死んでしまったらもったいないでしょう?

もし本当に死にたいと思ったら、あなたの心臓の音に耳を澄ませてみてください。
あなたの心臓は、あなたを生かすために脈打っている。何の見返りも無しで。

心臓に限らず、あなたの細胞はすべて、たったこの瞬間もあなたを生かすために、動いている。
本当に死ぬべき人間だったら、心臓はすぐにでも止まります。体は、たった今、あなたを生かそうとしているのです。

自分の闇を受け入れるという、精神性を磨く上で高いハードルに挑戦しているからこそ、死にたいと思う時もでてきます。
そこまで来ているのだから、あと少し。

その先にはそれだけの深い、本当の愛が待っているのです。

 

      積み重ねることの大切さ

by Nozomi ~ 6 月 14th, 2009
 

どんな楽しいこと、刺激的なこと、ワクワクすることでも、それを3年も続ければ大抵「ルーティンワーク」になります。
新鮮味が薄れ、慣れて「当たり前のこと」になります。

そうすると、なんとなく面白みに欠けるし、積極的に取り組もうという意欲もわかなくなるし「不満もないけど満足もしていない」宙ぶらりんな状態に陥ります。
「なんか楽しいことないかな」なんて言葉が、うっかりツルッと唇からもれたりします。

これは日本という国に限定したら、かなりの割合の人が体験していることです。
視点を変えると「それだけ大切なことだから、たくさんの人が経験している」とも言えます。

「もっとなんかこう、映画やドラマみたいなことが起きないの!?」
「素晴らしい出会いがあって人生変わっちゃうとか!」
「実は自分が救世主で、ある日いきなり組織からお迎えが来るとか!」
なんて、非現実的なことを夢見つつ、凡庸な現実を過ごしている人間が多いのです。

しかし、あえて言いますと、そんな非現実な空想よりも「今過ごしている凡庸なる現実」のほうが、圧倒的に価値のあるものなのです。

「刺激が無くて、慣れきってしまっているつまらない日常」は、実はダイヤモンドのような気づきの宝庫。
ただそれは「原石」として転がっているので、ちゃんとダイヤであることを見抜く力を磨かないと気がつけない。

多くの人が「自分にはそんなに才能もないし、大したことがない人間だ」と思っています。
ですが、才能は誰にでも与えられているのです。
それを発掘するのは、自分の仕事。
「自分に才能が無い」と思うなら、自分の才能を発掘することを怠っている証拠です。

そして、やっかいなことに才能は発掘して見つけただけじゃ役に立ちません。
発掘した段階では「原石」なのです。そこから磨かねば、どんな才能だって光り輝くことはありません。
世の中のたいていの人が「自分には才能もないし、たいしたこともできない」と思っているのは、自分がどんな才能に恵まれているかおぼろげにわかっていたとしたって、その才能を磨かず、輝かせることをせず放置しているからです。

才能を磨くには、時間の積み重ね、非常に地味な繰り返しを行うことが求められます。
天才と言われる素晴らしい才能の持ち主が、影でどれだけ地味で膨大な努力の積み重ねを行っているかを、私たちはしばしばインタビューや書籍で知ることができます。

地味で時には無意味と思ってしまうほどの、結果がすぐに出ないような暗いトンネルをくぐり抜けてこそ、才能は輝くのです。

日常の、いかに地味な積み重ねを、大切にするかしないか。それがどれほどの価値があるかを、自覚するかしないか。
輝ける人と、輝けない人の差は、そこです。
さらに言及しますと、幸せになれる人と、幸せになれない人の差も、そこにあります。

今私たちが生きている日本では、大抵の人がものすごく長い時間を生きます。
だから、積み重ねによって、才能を磨くチャンスがほとんどの人にあるのです。
乳幼児死亡率の高い環境では、こうは行きません。「10年後には」なんて、考えられない現実があるからです。

長い時間を与えられているのは、積み重ねができると言うこと。
「時間を積み重ねなくてはできないことを、その中でしなさい」という課題を持っているとも、言い換えられます。

継続は力なり。
もちろん続けても意味が無いと思うことは、スッパリやめるのも大切です。
でも、投げ出してばかりいても、一つもものにはなりません。

意味があるかどうかは分からなくても(日常の地味な積み重ねの段階では、大抵意味など見出せません)続けてみれば、ある日それがダイヤモンドであったことに気づくでしょう。
「継続するにはあまりにストレスがかかって、生命の存続が危ぶまれる」なんてものはやめたほうがいいですが、そうではないものは、続けてみると意外な輝きを放ち始めるかもしれませんよ。